羽生結弦は「真の祭り男」だ

時事ネタになるが、重要な出来事だったので記しておきたい。

羽生結弦平昌オリンピックで会心の演技の末、金メダルを獲得した。

本人にとっては金メダルを獲ったことより、前回ソチオリンピックでの彼なりの不満足感に対する「リベンジを果たせた」ということの方が大きいだろう。


ショートプログラム、そしてフリープログラム前半は申し分のない出来だった。しかし後半のジャンプ、何度も「崩れそうになる」姿を見た。しかし、耐えた。

右足の怪我の影響が出たのか、連続ジャンプが決まらなかったり、着地が危うかったりとその演技に少しずつ綻びが出る。

しかし、彼は耐えたのだ。「意地」と「気合い」で滑りきった。
まるで「うぉぉぉぉ!!」という漫画の吹き出しが見えてくるようだった。

演技を終えた後、彼は氷上に向かって吠えていた。何度も。何度も。

4年前の自分に対して、もしくは怪我の間、幾度も脳裏に浮かんできたたであろう「無理だよ。やめときなよ...」と囁き続けた自身の中の"悪魔"に対してか。

 

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真の祭り男の咆哮

余談だが、日本各地にある小さな祭りが残ってきたのは、祭りの担い手たちの「意地」があったからだと思っている。羽生の後半の意地の滑りを見ながら、そんな祭りの担い手たちを想像していた。最後は結局、そういうもの。

ここからは、祭り視点での勝手な分析。

羽生結弦は、真の祭り男だ。場を制圧できる力を持ち、静と動を自在に操ることができる。

普段は可愛げを見せたりおっとりとしているのに、スイッチが入ると不動明王とか阿修羅を想起させるようなドSな表情や振る舞いをする。見ているものは魅了され、その時空に引き込まれる。

そもそも、SEIMEIというプログラムを演じきれること自体が普通ではない。
「憑依型」とも表現されるような滑りは、個人を超えた不思議な力が宿っているようだ。いずれにせよ何本も続けられるものではなかろう。

まずは滑走前のルーティーン。
リンクに向かう前にコーチと握手を交わし、目をじっと見ながらエネルギーを注入する。

滑り始める時間、彼は手を切ったり、手を合わせたりしながら、祈りを捧げている。

 「これから全身全霊を尽くして最高の演技をしますので、見ていてください」 

そして演技開始時。静寂から初めてのモーションに移るまでの時間に「スッ」と何かを入れている(魂を込めているように見える)。

フィナーレの手を広げるポーズとともにエネルギーを解放。(平昌の時は実際に「バッ」っと言っている)

つまり、祈りから始まり、魂を入れ、阿修羅が憑依したような表情を見せながら全身全霊で演技をし、エネルギーを収めて終える。

このプログラムに魂を込め、儀式にまで昇華するのは、羽生結弦以外にいないだろう。


仮に彼が神輿の先頭で率いていて、「お前ら、いぐぞぉぉぉぉぉぉ〜〜〜!!」って言ったら全員に力が宿る姿を容易に想像できる。
 
単なる妄想かもしれないけど、彼は真の祭り男だと、ずっと思っていた。
今回のオリンピックを経て、それは確信に変わった。

オリンピックというハレの場に、更なるハレの場(祭)をつくる男。
羽生結弦。ありがとう。

 


祭りは続く。