夏が過ぎた
8月が終わった。夏が過ぎ去った。
いけだ阿波踊りに行くようになってから、お盆の終わって東京に帰ってきた時点で夏の終わりを明確に感じるようになった。
今年の夏も、おかげさまでたくさんの祭に参加させてもらった。
・北海道礼文島の厳島神社例大祭
・長崎県壱岐島の郷ノ浦祇園山笠
・秋田県八峰市の白瀑神社例大祭
・北海道江差町の姥神大神宮渡御祭
・徳島県三好市のいけだ阿波踊り
初めて行く祭りから、もう6年目になるものまで、地域も様々だ。
ちゃんと数えてはないけれど、おかげさまで「祭」というものに、この5年間で100回以上参加させてもらったのかもしれない。足を運んだのも含めるともう少し多いのかな。
一つのお祭りをちゃんと理解しようと思うと、三年かかる。
一年目はとにかく必死に目の前のことだけ。二年目はちょっと余裕が出てチーム全体に。三年目で祭の全体とあとその少し「奥」まで。
そう。最近は "祭のその先" を覗こうと意識している。
祭は簡単にいうと『誕生日会』(いえ〜い!)なので、その派手な部分にだけ目を奪われてしまいがちだが本質はそこにはない。
深い感謝や、怒りや、悲しみが、祭の本質だったりすることが多い。
「生き物を食うことに対する感謝と懺悔」や「生と死をつなぐ"間釣り"としての存在」を最近はよく感じるようになった。
人々が泣き、笑い、抱き合い、不安になり、笑顔になったり、とにかく祭の時は彩に満ちる。その地域がどういう地域なのかが、グッと浮かび上がってくる。歴史も含めて。
祭を通じて見る世界は、とても楽しい。
祭を通じて見えてくる「地域」や「人」は普段と少し違うから。
非日常と日常の区別がつきにくくなって感覚が変わってしまったから、もはや自分では価値を測りきれないんだけど、自分が見てる景色をたくさんの人に伝えたい!と強く思う。
そんな宣言でした。
ハナミズム(花見ism)
桜も満開となり、お花見シーズンが続いている。僕は根津に住んでいるので、谷中霊園、上野公園と桜を楽しませてもらっている🌸
今は花見と言えば桜だけれど、昔は違った?
4/1に新元号「令和」が発表され、その由縁となる万葉集の一説では梅の花の下で宴をしていた(梅花宴)と記されている。
「あれ、今って梅の花の鑑賞はするけど、宴は特にしないよね?あれ?」
そんな疑問を解くべく、整理してみました。
お花見は年に一度しかない非日常の時間。広義の"祭"にも近いものがあるので、花見ism(花見の本質的探求)をしてみた。
もしかしたら使える?ウンチクもあるので楽しんでみてください。
花見の特徴と歴史
- 花見の三要素は、「群桜・飲食・群衆」である
- 上記の定義に基づく「花見」を行うのは世界で日本だけである
- 日本最古の花見は、812年(平安時代)に嵯峨天皇が京都の神泉苑というお寺で催されたと記録されている
- 庶民が花見を楽しむようになったのは江戸時代中頃、徳川八代将軍吉宗が花見を推奨したことから始まった
- 奈良時代以前には花見と言えば「梅」だった。しかし、平安時代になり遣唐使が廃止となると、徐々に花見の対象が桜に変わる。(奈良時代に作られた万葉集では梅の歌が118首に対し、桜の歌が44首であった)
- 貴族文化的な花見と農民文化的な花見が結びつき、江戸時代中期に庶民の楽しみとして広く定着し、現在までつながる花見となった
- 日本の花見は単に桜を見て楽しむだけでなく、飲み物や食べ物を持って、ゴザの上に円座を組み花見をするという特徴がある
桜の語源と花見の成り立ち
- 桜の語源として一番有力なのは「サ・クラ」説である(サ=穀霊、クラ=座)
- 山の神は春には田野上になり里に降りてくる
- 山から降りてくる途中サクラに宿り、桜の花を咲かせる
- 桜の花が早く散る=稲の神の力が衰えていると考えられ、凶作を暗示する
- そのため農民は桜の花の下で酒宴を催し、歌や舞で神をもてなし桜が散らないよう神に祈る
桜の種類
- 日本には300種以上の桜があると言われており、その8割はソメイヨシノである
- 昨年、103年ぶりに桜の新種が発見された(紀伊半島南部の「クマノザクラ」)http://j-town.net/tokyo/news/localnews/257609.html?p=all
少しアカデミックな花見分析
- 私たちの先祖は桜を見ながら共に飲食をすることで、仲間たちの団結をより深めていった(共食)
- 花見は「時と場を同じくする贈答」であり、中元や歳暮は「時と場を同じくしない花見」と言い換えることもできる
- 人が集まる理由は団結を高めるため(そのために酒が入るようになった)
団結はそれ自体が目的ではなく、「共同の幸福」を達成するための手段である
その他花見や桜に関するオモシロ話
- 花見団子と言えば桜色、白、緑色の三色が一般的。それぞれが、春、冬、夏を表しており、秋がないため飽きがこないと言われている
- 日本以外での最大の花見イベントは米国の首都ワシントンで毎年4月に行われる桜祭り。しかし、ここでは飲食をする様子は見られない
- 桜は英語で一般的に”Cherry Blossom”と呼ばれるが、チェコではSAKURAと呼ばれている
- 花見は年中行事の中でも人気のハレの行事であるが、バレンタインやひな祭りなどに加えて、女性の負担が少ないものとされる
その他、有識者へのヒアリングなどを重ねて大原が独自に編集しました
宴は続く。祭も続く。
ハレとケを行き来する、その先に。
「祭り以外のとき、何してるの?」とよく聞かれる。
いろいろしている。貧乏暇なし 笑
年間のうち1/3くらいは地方のどこかにいるけれど、それ以外ほとんどは東京にいて、パソコンでパチパチやったり、打ち合わせなんかをしている。
しかし、「都内にいても正装は法被じゃ〜〜〜!!」
というわけでもなく、TPOに合わせて衣装も使い分け。
今日はシャツに革靴スタイル。いたって普通の格好です笑
最近、鍼にお世話になる回数が増えた。
なかなか疲れが抜けないのもあるんだけど、特に祭りから帰ってきたばかりの時なんかは、頭と身体がオンになったまま緊張感が抜けず、寝られなかったり、すぐ起きてしまったりする。
鍼灸師に対してはこんなオーダーをする。
「祭りから帰ってきたばかりで交感神経優位になってるんで、ちょっと鎮めてください」
その人も要領分かってきてくれて、「はい、わかりました」と二つ返事(笑)
ハレとケを行き来する生活は、楽しいけれど、消耗が激しい。
特に自分の場合は、完全にアウェイの場所に飛び込むこともしばしば。一挙手一投足を見られているかもしれないと思うと、どうしても気を遣ってしまう。そして極めつけはアルコールパンチ。
呼吸法とかヨガとか、身体と心をコントロールする方法をちゃんと身につけたい。
我ながら謎の生活を送っていると思う。この先に何を見据えているのか。
マツリテーターは「(祭りを通じて)地域のウチソトをつなぐ」ことが主な仕事である。つまり地元の人と外部者の媒介者であり翻訳者という立場。
しかし、もう一つ重要なテーマがある。
それは「(祭りを通じて)ハレとケをつなぐ」こと。つまり、豊かな日常を過ごすために、非日常のエネルギーを活かす、ということ。
例えば、日常のちょっとしたプレゼンテーションの際に、一瞬で場の雰囲気を変えたり、祭り的な求心力を生み出せるようになるとか。
その逆も然りで、緊急災害時で周りがわーわー言っている時に、冷静に全体観を捉えて的確な指示・行動ができるようになるとか。
今はまだまだだけど、ハレとケを行き来する先に、そんな力が身につくといいなと。
もうすぐ昼休みも終わりだ。日常に戻りますか!
祭りは続く。
祭りの力で町に「彩」が戻る(福島県広野町 浜下り神事)
JR常磐線の広野駅に降り立ったとき、あの何とも言えない静寂を感じた。
"あの"というのは、津波の被害を受けた地域独特の、少し胸が苦しくなるような感覚だ。
しかし数時間後、祭りの力で状況は一変した。
「わっしょい!わっしょい!」の掛け声とともに、8年ぶりの神輿が上がると、人々が家から飛び出してきて、いつの間にか笑顔が溢れる。静かだった町に彩りが灯る。
福島県広野町は、福島第一原発の影響で4年前まで避難区域に設定されていた場所。鹿島時神社に残る浜下り神事は人々の誇り。8年ぶりのこの賑わいを。みんな、待っていた。この土地に昔から紡がれてきた文化が復活するのを待ち望んでいた。
地元の方の笑顔に触れて、思わず涙がこぼれてしまった。
祭の力って、すごい。
今回ご縁をいただき、特別に東京からボランティアとして祭りに参加をさせてもらった。ヨソ者ではあるけれど、その渦の中に一緒に居させてもらえることが本当に嬉しかった。神事が終わり、いざ神輿が上がるという段になって、自然発生的に円陣がはじまった。慌てて輪の中に入ると、一気にテンションが上がる!
クライマックスは、まさに、「浜下り」だ。海の中に入るとても綺麗だとてもきれいな海。(わかめが美味しそうだ)。神輿を海に浸し厄を払う禊の行為は、昔からずっと続いてきたんだろう。
帰り道。ふと、想像してみた。8年前のこと。地元の人にとってこの海は、憎しみの対象であったかもしれない。しかし、恵みの海であることに変わりはない。
お祭りは「非日常」。しかし今回はその意味合いが違った。非日常そのものよりも、「(非日常があるという)日常が戻ってくること」の大切さを身をもって感じた。たくさんの人の尽力の結果、祭の復活にたどり着いたのだと思う。
「復活」しても、時は進んでいく。これからは、昔のままのようにはいかないという事実に直面することもあるだろう。その中で、自分たちにとって大切な文化をどうやって後世につないでいけるのか、本当の勝負はこれからなのかもしれない。
この大切なお祭りが今後も引き継がれていきますように。
祭りは続く。
羽生結弦は「真の祭り男」だ
時事ネタになるが、重要な出来事だったので記しておきたい。
羽生結弦が平昌オリンピックで会心の演技の末、金メダルを獲得した。
本人にとっては金メダルを獲ったことより、前回ソチオリンピックでの彼なりの不満足感に対する「リベンジを果たせた」ということの方が大きいだろう。
ショートプログラム、そしてフリープログラム前半は申し分のない出来だった。しかし後半のジャンプ、何度も「崩れそうになる」姿を見た。しかし、耐えた。
右足の怪我の影響が出たのか、連続ジャンプが決まらなかったり、着地が危うかったりとその演技に少しずつ綻びが出る。
しかし、彼は耐えたのだ。「意地」と「気合い」で滑りきった。
まるで「うぉぉぉぉ!!」という漫画の吹き出しが見えてくるようだった。
演技を終えた後、彼は氷上に向かって吠えていた。何度も。何度も。
4年前の自分に対して、もしくは怪我の間、幾度も脳裏に浮かんできたたであろう「無理だよ。やめときなよ...」と囁き続けた自身の中の"悪魔"に対してか。
真の祭り男の咆哮
余談だが、日本各地にある小さな祭りが残ってきたのは、祭りの担い手たちの「意地」があったからだと思っている。羽生の後半の意地の滑りを見ながら、そんな祭りの担い手たちを想像していた。最後は結局、そういうもの。
ここからは、祭り視点での勝手な分析。
羽生結弦は、真の祭り男だ。場を制圧できる力を持ち、静と動を自在に操ることができる。
普段は可愛げを見せたりおっとりとしているのに、スイッチが入ると不動明王とか阿修羅を想起させるようなドSな表情や振る舞いをする。見ているものは魅了され、その時空に引き込まれる。
そもそも、SEIMEIというプログラムを演じきれること自体が普通ではない。
「憑依型」とも表現されるような滑りは、個人を超えた不思議な力が宿っているようだ。いずれにせよ何本も続けられるものではなかろう。
まずは滑走前のルーティーン。
リンクに向かう前にコーチと握手を交わし、目をじっと見ながらエネルギーを注入する。
滑り始める時間、彼は手を切ったり、手を合わせたりしながら、祈りを捧げている。
「これから全身全霊を尽くして最高の演技をしますので、見ていてください」
そして演技開始時。静寂から初めてのモーションに移るまでの時間に「スッ」と何かを入れている(魂を込めているように見える)。
フィナーレの手を広げるポーズとともにエネルギーを解放。(平昌の時は実際に「バッ」っと言っている)
つまり、祈りから始まり、魂を入れ、阿修羅が憑依したような表情を見せながら全身全霊で演技をし、エネルギーを収めて終える。
このプログラムに魂を込め、儀式にまで昇華するのは、羽生結弦以外にいないだろう。
仮に彼が神輿の先頭で率いていて、「お前ら、いぐぞぉぉぉぉぉぉ〜〜〜!!」って言ったら全員に力が宿る姿を容易に想像できる。
単なる妄想かもしれないけど、彼は真の祭り男だと、ずっと思っていた。
今回のオリンピックを経て、それは確信に変わった。
オリンピックというハレの場に、更なるハレの場(祭)をつくる男。
羽生結弦。ありがとう。
祭りは続く。
なぜ祭りなのか?
昨年9月4日は34歳の誕生日。僕は近所のデニーズに一人篭もって、いつも持ち歩いているスケッチブックと向き合い、過去を振り返って書き出していた。
1年1年遡っていくと、ちょうど5年前の2012年9月4日に、前職クロスフィールズの内定の電話をもらい、嬉しかったことを思い出していた。
そして何気なく5年間の推移をグラフで表してみた。
転職をし、起業を経て、僕の年収は5年前に比べて1/5になっていた。反比例だ。
親が僕の老後を心配することに納得した。
(周りの支えてくれている皆さんには本当〜に感謝です!!)
それを眺めながら、我ながら不思議に思った。
「一体俺は何を求めているのだろう?」
素直に話すと、社会に貢献したいからとか、やり甲斐云々ではない。
祭を掘り下げたいんだ。そしてその先にある人間の本質が垣間見たいだけ。
祭はハレの場だから、普段は見ることのできないその人が見れる。
見たことない表情、態度、感情が立ち現れてくる。さらに、その人の自我を超えて、土地の記憶を背負って現れてくる瞬間がある。
時間空間がクロスする人生に一度のハレ舞台に立ち会うと、無条件に感動してしまう。生きててよかった、と思える。
高校の時、遺伝子の勉強をしたいと思って大学選びをしたのも、
大学での卒業論文のテーマを円陣にしたのも、
自分なりに人間のことをもっと知りたいという動機からだった。
今は「祭りとは何か?」を自分なりに問い続けることが、人間を理解するための一番の方法だと思っている。たとえ仕事としてマツリズムを続けられなくなっても、身体が動かなくなっても、それだけは問い続けたい。
何の保証もできないし、確信めいたものはないけれど、意志としてそれだけは記しておきたい。
祭りは続く。
僕は祭り男じゃなかった
発信!発信!発信!と思いつつも、ずっとブログが書けなかった。
正確にいうと、いくつか書いたものもあったのだが、下書きのまま眠っている。
「伝えたい思いが強すぎて納得いくまでこだわってしまう!」ってのはかっこつけで、ただの面倒くさがりです。
ふと時間ができたので、最近思っていることを少し。
これまで、自分は「祭り男」なのだと思っていた。本質的にはそうでなくても、「祭り男になれる!」と信じていた。その可能性を感じてか「祭り男にしてやろう!」と育ててくれる先輩やパスを振ってくれる友人もありがたいことに存在した。
一般的な祭り男のイメージ
しかし、僕は「祭り男」ではなかった。
一般社団法人マツリズムっていう団体をやっているくらいだから、祭りは好きだ。
でも、祭り男は、定義にもよるだろうが「お祭り騒ぎが好きな人」「テンションがめちゃ高い人」のイメージのように思う。
僕はお祭り騒ぎが好きなわけでもないし、テンションがめちゃ高いわけでもない。
(どちらかというと「元気ないですね」と言われることの方が多い 笑)
ただ祭り男のスイッチは持っている。そのため、そういう人だと勘違いされることがよくある。自分もそれに応えようとこれまで頑張ってきた。でもそれはやめようと思う。なんとなく、そんなタイミングな気がする。
祭に関わっていると、たまにこういう、ハッと息を飲むような瞬間に遭遇する。
150人で一つの神輿を持ち上げる瞬間も同じ。胸の中がざわざわする。
「お祭り騒ぎ」とは逆の、そういう深淵な瞬間に触れると、生きてて良かったと思える。炎が燃え盛るようなハレの空間の中にひっそり佇む静の瞬間が、僕はたまらなく好きだ。
それだけです。オチはありません笑
祭は続く。