幸せを運ぶ『獅子』高木神社例大祭(東京都墨田区)


全長10メートルを超える獅子が、クネクネと器用に身をこなしながら、下町の路地裏を駆け巡る。地域の家々を訪ねて、ときには家の中まで入り込んでいく。この機会をずっと待っていたとばかりに涙を流してそれを迎える高齢者の方々や、大迫力の獅子が近づくと泣きわめく子どもたち。
なんとも形容し難い、とても独自性のあるこのお祭りに参加する一番の楽しみは、人々の「生活」そのものに入り込んでいけることではなかろうか。


獅子頭の重さは20kg弱と言われ、これを二人で持ち、非常に日本的な足の運びで摺り足で進んでいく。獅子が地を這っているように見えるといいのだそうだ。
獅子の身体の部分をかたちづくる深緑色の布の縁をみなで持ち、バタバタと揺らすことで、まるで生きている獅子かのように見えてくる。興味深いのは、大部分、近所の子どもたちがその役を果たしているということだ。どこからともなく子どもたちが集まってきては、去っていく。不思議な感覚に陥る。


獅子はオスとメスそれぞれ二体おり、場所場所で向き合った際にそれぞれが近づいていき、周りが声を上げて、互いの息を合わせて獅子頭をグッと持ち上げ、交差する。これがいわゆる『合わせ』と言われるもの。この度に、気持ちが高ぶる。


お昼ご飯には、手作りの豚汁と、熱々のメンチカツをいただく。「近くの肉屋さんのメンチカツ」は、とてもジューシーで、温かみがある。この感覚はなんだろう。



今回は三年に一度の高木神社の「大祭」だったこともあり、獅子が終了した次の日には、(普段は出ない)御神輿がでることになった。最高の青空の下、「オイサー、オイサー」の掛け声に合わせて神輿を担いでいく。とても立派なお神輿で、重量もかなりあるだろう。やはり下町のお神輿。江戸っ子の粋な感じで盛り上がるし、普段なら気になるであろう多少の口の悪さも、必要な要素に思えてしまう。


やはり神輿はおもしろい。担ぎ手の息が合ったときのあの一体感は何ともいえないものがある。



そして圧巻は宮入り。高木神社の鳥居をくぐると、これ以上ないくらいに人が密着して、何度も行ったり来たりを繰り返す。ようやく最終的に差せたときは達成感と安堵感に包まれた。



今回このお祭りを通して感じたのは、地域の魅力。そして人の魅力だ。
祭の舞台は墨田区の京島地区の一部で、墨田区内でも空襲で焼けなかった数少ない地域だったということもあり、昔の道が残っており、狭い路地がくねくねと通っている。最寄りの曳舟駅前などはマンションも増えているが、平屋の一軒家も多く、自営のお店も多かった。獅子を持って家に入り込んでいくことなどもあり、文字通り「生活を覗く」ことができた。そこにあるおじいちゃんおばあちゃんの顔、そして湧いてくるこどもたちの存在が、生きていることを強く実感させてくれた気がする。人情味のある町。


今回は、旧寺島四丁目という地区の「四丁目睦(よんむつ)」を紹介してもらい、参加させてもらった。お祭りの前にも、お祭りの創り手の方にお話を聞かせていただいた。自分たちの地域とお祭りに対する愛に溢れた方たちで、外者を気さくに受け入れていただいたことに本当に感謝をしている。この方たちがいなかったら、こんなに安心して楽しめなかっただろう。

来年の6月1週目の土日は、是非足を運んでみてはいかがでしょうか?
よんむつホームページはこちら(http://naruhi86.wix.com/mutsumi-04

「跳ぶぞ、跳ぶぞ!」松原神社例大祭(神奈川県小田原市)

「よし。跳ぶぞ!跳ぶぞ!」

その掛け声を聴いて提灯を持った二人が前に走ると、神輿の前にスペースができあがる。
それは「走る」ことを意味するGOサインだ。

直立不動の状態で木遣りを聞き、声を合わせる。声が揃って、大きさが増幅する。
まわりの気配をじっと感じながら、タイミングを測って、一気に走りだす。
担いだ神輿がブレないよう、腕を使って肩にぐっと近づけて走る。
そして、止まる。止まり、切れない。
ようやく静止すると、身体の弛緩とともに、笑みが溢れる。





申し訳ないけれど、正直、ここまで楽しいお祭りだなんて想像していなかった。

2月の終わりに参加した地元の友人の結婚式二次会で久々に会った高校の友人から、「5月に小田原でお祭りやるから来なよ」と誘われたのがきっかけ。4月のある日、ぱっとそのことを思い出し、彼とやりとりを重ね、このお祭りに参加させてもらうことになった。

当日。10時に会場に集合し、着替えを済ませる。
午前中は主に寄付を頂けたお店や家に対して、木遣りをあげ、神輿を担いで突っ込む動作を繰り返す(いわゆる、神輿を「差す」)。

この動作をするとき以外は「わっしょい、わっしょい」と神輿を揺らすわけでもなく、ただ肩の上に載せて運んでいた。わりと静かで大人しいお祭りなのかな、というのが最初の感想だった。

それがお昼になり大通りに出てから、その印象は一変した。
冒頭の「跳ぶぞ」の合図とともに、神輿を担いでダッシュをし始めたのだ。
※「跳ぶ」は小田原の方言で、走るという意

慣れ親しんだ小田原駅の周辺を、神輿を担いで何度もダッシュしてヘトヘトになったり、
クライマックスに向けて各町会の神輿が集まってきた際には、隣の神輿と連結してダッシュ。多い時には、3つの神輿との連結ダッシュ

転けたらヤバイという緊張感と、神輿を担ぎながら走るという高揚感の効果で、アドレナリンが出てくる出てくる。「爽快」という言葉がピッタリ。

勿論、魅力はそれだけではない。
一件一件小田原の町中のお店を回っていく中で、「(昔はなかった)こんなお店があったのか」「やはり小田原は練り物の町なんだな」など、地元として知っていたはずの場所に対する新たな発見があったし、小田原に昔から住んでいる人たちとの何気ない交流も、やはり心温まるものがあった。(自分は地元を出た人間だから、余計)

最後に、今でも鮮明に残っているシーンがある。いわゆる「宮入り」だ。

日暮れの時刻を過ぎ、自分たちのお神輿の宮入りの順番をじっと待ち、その時は来た。
沿道の両側には赤い提灯が連なる屋台が構えており、太鼓の音が聞こえる。

合図があり、今までにないほど長い距離を神輿を担いで駆け抜ける。そして、交差路を直角に曲がる。ググっと重力を感じつつも体勢を立てなおして鳥居を目の前にすると、そこには大勢の観衆が待ち構えていた。その中を、文字通り、疾走した。

『このときのために一年間やってるようなもんだもんね』と担ぎ手の一人がつぶやいていた通り、それはまさに「感動」の瞬間。

神事であることは承知しているけれど、こんなエンターテイメント、なかなか味わえないと思う。


今回参加させてもらったメンバー

前夜祭

いよいよ明日、浅草にて、所属する和太鼓チーム『前夜祭』の初舞台がある。

しかし残念ながら今週半ばから風邪を引いてしまい、土曜日に少し和太鼓の練習をした以外休んでいたため、ほとんど身体は動かしていない。全然眠くならないので、気持ちだけでも上げておこうと筆を取ることにした。

浅草に引っ越してきてもうすぐ一年となるこの冬、まさかここで太鼓の演奏ができるなんて考えもしなかった。
去年の今頃は、このチームさえ存在しなかったのだから。


「太鼓をやってみたい!」と思ったのは、約5年前の夏。日本三大祭と言われる『天神祭』を大阪で見ていたとき。
それはそれは素敵な祭で、特に、きらびやかな外装をまとった船が川の上を行き交う姿は圧巻。そしてそれぞれの船の上では、祭を盛り上げるため様々なパフォーマンスが繰り広げられていた。
何隻か通り過ぎる船を見ていて、ある法則に気づいた。船上の人たちは一見自由に動いているように見えて、船の後ろに太鼓が置いてある「どーん」という音に合わせて、一気に動きを変えていることに気づいた。
そのとき、直感的に思った。「あのポジションいいな!」と。
成功・失敗、どんな人生になるか分からないけど、50歳くらいであのポジションで太鼓を叩いていられるようであれば、いい人生なんだろうと。



その後、ずっと興味はあったもののきっかけを掴めず、和太鼓を本格的に始めたのはそれから二年後くらい。前職での松本転勤がきっかけだった。
松本という地には、会社の人以外の知り合いが皆無だった。このままでは休みも楽しめないということで、どうしようかと、直感的に「和太鼓 松本」と調べたら、一番上に出てきた団体のホームページに『初心者募集』と書いてあったのがきっかけで、地元の高校生から年配の方までが集まって活動する和太鼓チームに入れてもらうことになった。
<和太鼓鳴桜(なを)http://wadaiko-nawo.chu.jp/
そこで本格的に練習を開始し、とても幸運なことに、半年後には初心者ながら「松本城太鼓祭」の舞台に立たせてもらうことができた。このときは、必死で必死で、最後はバチも飛んでいっちゃうし、立っているのがやっとだったほど。でも本当にいい経験、そしていい仲間に巡り会えたと思う。



しかし松本を結局一年足らずで離れることになってしまい、その後東京に戻って来てからもしばらくは和太鼓なんていう余裕もなかった。
そんな去年の暮れ、昔松本で一緒に太鼓をやっていたメンバーから「今東京で働いているので、また和太鼓やりませんか?」とメールがあった。はじめは週末にスタジオに出向いて二人で太鼓を叩き、懐かしさを感じていた。そんな中、もう一人松本の同じ団体にて以前太鼓をしていたという人も加わり、メンバーは三名に増えた。

そして、今年の1月「和太鼓チームをつくろう!」という話になり、『前夜祭』が生まれた。
<和太鼓チーム「前夜祭」:http://zenyasai.webcrow.jp/

前夜祭...その名の如く。祭の前の高揚感、ワクワク感。高校生的発想。

今ではメンバーの数も増え、今回の舞台では5人で演奏を行う。
まだ一年足らずとは思えない。それだけ、和太鼓のある生活が染み付いている。非日常だった和太鼓は、日常の僕の身体の中に活きている。そういっても嘘じゃないくらい、その鼓動を、グルーヴを、自分自身の中に感じるのだ。これがないのが想像できないくらい、自分を構成するものの一つになった。

アゲイン。一年前、まさかここで太鼓の演奏ができるなんて考えもしなかった。
去年の今頃は、このチームさえ存在しなかったのだから。

今こうして、縁があった仲間と一緒に舞台に上がれることに感謝をしつつ、
今出来る精一杯のものを出そうと。

気合入れていきます!




「祭」を通した、住人としての小さな幸せ

18歳で地元を出て一人暮らしを始めてから、早10年以上が経つのだけれど、昨日、初めてでとても嬉しい出来事があった。

同じ地区の住人の方に「大原さん!」と笑顔で声を掛けられたのだ。

僕が住んでいるマンションを出て、走って道路を横切った瞬間、後ろから大きな呼びかける声が聞こえた。

「横断歩道ちゃんと渡れよ、このやろー!」的な感じなのかと思い、びくびくながら振り返ると、同じ地区に住んでいる人が手を振ってくれて僕の名前を呼んでくれていたのだ。
少しほっとして、「あ~、どうもー!!」と言って、僕は駅に向かって走っていった。

たかが5秒のやり取り。しかしそのやり取りで、なぜだか心がほんわか満たされた。僕と僕と認識して、声を掛けてくれたことが、とても嬉しかった。


きっかけはこちらのビラです↑

              
っかけの話。
8月のある日、このビラがマンションの入り口に貼ってあることに気付いた。
「地元のお祭りに携われるものなら携わってみたい」と東京に越してきてから長年思ってきたけれど、一度もそういうチャンスがなく過ごしてきた自分からすると、「ついに来た!!」という感じ。
担当の方に電話をすると、「何人か連れてきてもいいよ」ということだったので、先週日曜日に、友人4人と一緒に、地元の連の人たちと神輿を担いできました。

そのとき一緒いた地域の住人の方が、昨日挨拶をしてくれた方なのです。

ある地域に住んでいても、そこの地域と全く関わりなく日常を過ごしている、そのことに対する違和感。
「でもこれが都会的な生活ってもんなんかな~」とあきらめかけていたところに見えた希望。

祭がきっかけとなって、下町での自分の生活が少しずつ豊かになりそうだ。

人生で初めて「神輿」を担ぎました!



31年間生きてきて、ついに、神輿を担ぎました!!
(といっても、僕のことを知っている人には、あまり驚かれないかもしれません)
今まで神輿を担いだことがなかったのが、自分でも嘘のようなのですが、ほんとです。
機会が無かったのです。

大学生の頃、就職活動のために自己分析というものをしました。
自分の過去にさかのぼって、したいこと、得意なことなどを掘り下げていくというもの。
幼少期の夢については覚えていなかったので、実家に帰って「一番小さかった頃の自分の夢」について、母親に聞いてみました。
すると、このようなことを答えていたようです。

「僕、大人になったら、おみこし屋さんになりたい!!」

それを聞いた母親は少し困った顔をして「おみこし屋さんは職業じゃないのよ、、」と答え、僕はがっかりとした顔をしていたそうな。

大学生の僕は、なぜ「おみこし屋さん」なのか、少し分析してみました。
当時、地元(神奈川県南足柄市)の夏祭りにて、神輿がワサワサと揺れながら動いて行くことで、それを中心に、観ている周りのひとがパッと笑顔になり、自然と繋がっていく、その様に憧れたのだろうと。同様に、花火にもものすごく強い憧れがあります。

「おみこし屋さん」というと、神輿の担ぎ手や神輿の作り手を想像しますが、おそらくそうではなく、僕の関心は神輿それ自体だったと思うのです。

以来、特に意識せずに、気づくと神輿っぽいことを求め続けていました。
振返ってみると、大学の卒論で「円陣」について研究したのもそう、「ピストン」という全身での動きもそう。中心部分にエネルギーや視線が集まって、気づくとまわりの皆が『つながった感覚』つまり『一体感』を憶えている、そういう瞬間をつくっていくことが無常の喜びなのだと。

しかし、ほんものの神輿それ自体に触れる機会がなかった。神輿含め、祭にもっと触れるため、浅草に越して半年を過ぎ、とある友人の計らいで、facebookで「神輿担ぎませんか」の招待が来た!「おおっ」と反応し、参加させてもらったのが、今回のお祭り(亀戸神社大祭)だ。


今回入れてもらったメンバー

終わった後は汗だくだく。とても楽しかった!!
特に声を合わせて、動きを合わせたときに感じる一体感と高揚感はヤバかったな〜。

が、まだ一度だけしか担いでいないので、まだまだ全然奥深いとこまで行けてないんだと思う。
ここからだな☆

この機会をくれた友人の喜谷武くんと主催者の細田くんに心から感謝です。












「青森ねぶた祭」に参加してきました!

821910分。夕焼け空に放たれた花火の合図と共に、祭は始まった。大太鼓の重低音が響き始め、高揚感が高まる。そして、あの掛け声が聞こえてくる。「いくぞ!」「あっ、らっせ〜ら〜、らっせ〜ら〜!」『らっせ〜らっせ〜らっせ〜ら〜!』周りの様子を少し見ながら、跳ね方を確認し、跳び始める。

右右、左左。交差して、高く。後ろ足で、蹴る。
一緒に来た大学の後輩がガンガン跳んでるので、元バレー部の血が騒ぎ、負けられないと、跳ぶ。
慣れない動きをするもんだから、すぐに汗だく、ヘトヘトになるけれど、サッカー日本代表の応援のような、全体的なアゲの感じが、後押ししてくれる。
近くで跳ねているのは、地元の高校生くらいの女の子だろうか、その動作は激しく、美しい。
東北で勉強している海外からの留学生は、すこぶる元気だ。ほとんど日本語も話していない彼らも『らっせ〜ら〜、らっせ〜ら〜!』と大声で叫びながら、楽しそうに跳ねていた。(なんとなく、アングロサクソン系に似合う祭だと感じた)
場の雰囲気にも慣れてきて、中心から沿道側に少しずれて、跳ねるようにした。沿道にはお客さんが沢山。やはり、見られると、高く跳びたくなる。目と目が合うと、笑顔になる。

今回加えてもらったチーム



衣装を合わせるのが跳人の条件(レンタル可)














留学生めちゃ盛り上がってました





















時には、お客さんから「らっせ〜ら〜、らっせ〜ら〜」と煽ってくることもある。そんなコミュニケーションもまた楽しい。さらに、このねぶた祭の仕組みとして素晴らしいのは「幸せの鈴システム」。羽人が衣装につけている小さな鈴を集めると、幸せになれるといういい伝えがあり、鈴を転がしたり投げたりすると、子ども達がワッと集まって来て、競うように鈴を拾っていく。それを、とても嬉しそうに掴む。お客さんと鈴のやり取りをしているだけでも、とても幸せな気持ちになれる。

楽しさと、ふくらはぎの疲れを同時に感じながら、「まだまだ跳ねたい!いや、もうそろそろ、、、」と複雑な想いを抱えながら、21時に終わりを告げる花火の合図を聞いた。なんだか少し寂しかった。 

太鼓のサイズも特大


頑張れ日本の伝統企業




















青森ねぶた祭を訪れるのは二度目。今回は初めて、跳人(ハネト)として参加させてもらった。

ねぶたがとても好きという友人に誘ってもらい、総勢160名のメンバーを抱える跳人の団体の一員として参加させてもらった。ねぶた祭への跳人としての参加は、衣装さえ所定のものを用意していれば、誰でも自由に参加可能!そこがまた素晴らしい)跳人としての唯一の参加条件で衣装も、3000円で一式レンタルが可能(+足袋、わらじ)なため、とても気軽に参加できる。 終了後は市内の飲み屋で跳龍会の打ち上げにも参加させてもらい、祭のことや青森のことで盛り上がった。
 
中でも印象に残っていること三つ挙げたい。

  青森の方便で眠たいことを「ねぶたい」と言うそう。眠たい中でもせっせと農作業をする市民の祭からねぶた祭になった

  青森の人(特に女性は)ものをはっきり言う。日本でも有数の「激しい祭」があるところにも、県民性が反映されているのでは
  全国的にも有名なねぶた祭だが、以前、烏族の問題が大きく取り上げられた影響もあり、跳人の数は減ってきている。特に地元の子どもがあまり参加しなくなった

  かなり歴史の長いお祭りになると、だいたいその起源というものは曖昧になっている。諸説あるようだが、地元の人からの話が一番説得力がある。

 県民性とかそういうものはすごく好きで、陸続きの隣合った都道府県の人々の性格の特性になぜ違いがあるかを考えるのは興味深い。気候風土や地理的条件は勿論のこと、地域の代表的なお祭りとの関係性って、実はとても濃いものんじゃないかと思っている。
 お祭りの創り手が少なくなってきているというのは寂しい話だ。これだけのエンタメ要素を兼ね備えたお祭りでさえ、そういった状況というのは少し驚きだ。時間の使い方の選択肢が多様化され、スマホやゲーム機一台で何時間でも楽しめてしまう時代だけれど、子どもにとってお祭りに参加することが「かっこいい」ものであってほしいと願う。

 最後に、今回は跳人としての目線で「inside ねぶた祭」を書いてみたが、普通に観るのもめちゃくちゃ面白いです!!ねぶた自体は本当に凝られた総合芸術だし、大きさは想像していたよりも大きい。そんなのが目の前までかなりのスピードで迫ってくるのだから、その迫力はすごい。厳しい自然に負けないような激しさの大切さを教えてくれる、そんな夏祭り。
(それを支えるのはパナソニック・日立をはじめと日本の伝統企業。頑張って欲しい!)
音で表すと、「ドドーン」って祭り。来年は、跳ねてみるのもいいかも!? 

跳ねてる様子

「成田太鼓祭」を観てきました!


2014年4月12日『第26回 成田太鼓祭』

初めて、成田駅に降り立った。
「成田」というと成田空港のイメージが強い。(案の定、成田駅集合なのに、到着したのは成田空港第一ターミナルという駅だった。急いで折り返す)

成田太鼓祭りは、街と太鼓の融合が、ハーモーニーを奏でるようにうまくできている。
成田駅(JR/京成)から、成田山新勝寺まで続く15分ほどの道には、名物の漬け物や煎餅、和小物など、とても素敵なお店が立ち並ぶ。その道の途中途中に、太鼓の演奏スポットがある。
太鼓の演奏をつまみに、美味しいものを楽しむ。こんな感じのスタンスががいいのだろう。



太鼓の音とお寺との相性がとても良い。
外国人観光客もとても多い。








<素晴らしpoint>
・太鼓を楽しむだけでなく、町歩きを同時に楽しめること
・全国で有数のチームによる演奏を間近で楽しめること
成田山の境内で演奏という大ステージがあり、分かりやすいこと

特に素晴らしいと思ったのは、太鼓祭りの盛り上がりが商店街の盛り上がりに直結する仕組みができていること。
このお祭りをきっかけに「成田の街にまた来たいな」と思った。行きますとも。




〆は名物のうな丼