なぜ祭りなのか?

昨年9月4日は34歳の誕生日。僕は近所のデニーズに一人篭もって、いつも持ち歩いているスケッチブックと向き合い、過去を振り返って書き出していた。

1年1年遡っていくと、ちょうど5年前の2012年9月4日に、前職クロスフィールズの内定の電話をもらい、嬉しかったことを思い出していた。

そして何気なく5年間の推移をグラフで表してみた。

転職をし、起業を経て、僕の年収は5年前に比べて1/5になっていた。反比例だ。
親が僕の老後を心配することに納得した。
(周りの支えてくれている皆さんには本当〜に感謝です!!)

それを眺めながら、我ながら不思議に思った。
「一体俺は何を求めているのだろう?」

素直に話すと、社会に貢献したいからとか、やり甲斐云々ではない。
祭を掘り下げたいんだ。そしてその先にある人間の本質が垣間見たいだけ。

祭はハレの場だから、普段は見ることのできないその人が見れる。
見たことない表情、態度、感情が立ち現れてくる。さらに、その人の自我を超えて、土地の記憶を背負って現れてくる瞬間がある。

 

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小浜の紋付祭り 新町若連の皆さま


時間空間がクロスする人生に一度のハレ舞台に立ち会うと、無条件に感動してしまう。生きててよかった、と思える。

高校の時、遺伝子の勉強をしたいと思って大学選びをしたのも、
大学での卒業論文のテーマを円陣にしたのも、
自分なりに人間のことをもっと知りたいという動機からだった。

今は「祭りとは何か?」を自分なりに問い続けることが、人間を理解するための一番の方法だと思っている。たとえ仕事としてマツリズムを続けられなくなっても、身体が動かなくなっても、それだけは問い続けたい。

何の保証もできないし、確信めいたものはないけれど、意志としてそれだけは記しておきたい。

 

祭りは続く。