「跳ぶぞ、跳ぶぞ!」松原神社例大祭(神奈川県小田原市)

「よし。跳ぶぞ!跳ぶぞ!」

その掛け声を聴いて提灯を持った二人が前に走ると、神輿の前にスペースができあがる。
それは「走る」ことを意味するGOサインだ。

直立不動の状態で木遣りを聞き、声を合わせる。声が揃って、大きさが増幅する。
まわりの気配をじっと感じながら、タイミングを測って、一気に走りだす。
担いだ神輿がブレないよう、腕を使って肩にぐっと近づけて走る。
そして、止まる。止まり、切れない。
ようやく静止すると、身体の弛緩とともに、笑みが溢れる。





申し訳ないけれど、正直、ここまで楽しいお祭りだなんて想像していなかった。

2月の終わりに参加した地元の友人の結婚式二次会で久々に会った高校の友人から、「5月に小田原でお祭りやるから来なよ」と誘われたのがきっかけ。4月のある日、ぱっとそのことを思い出し、彼とやりとりを重ね、このお祭りに参加させてもらうことになった。

当日。10時に会場に集合し、着替えを済ませる。
午前中は主に寄付を頂けたお店や家に対して、木遣りをあげ、神輿を担いで突っ込む動作を繰り返す(いわゆる、神輿を「差す」)。

この動作をするとき以外は「わっしょい、わっしょい」と神輿を揺らすわけでもなく、ただ肩の上に載せて運んでいた。わりと静かで大人しいお祭りなのかな、というのが最初の感想だった。

それがお昼になり大通りに出てから、その印象は一変した。
冒頭の「跳ぶぞ」の合図とともに、神輿を担いでダッシュをし始めたのだ。
※「跳ぶ」は小田原の方言で、走るという意

慣れ親しんだ小田原駅の周辺を、神輿を担いで何度もダッシュしてヘトヘトになったり、
クライマックスに向けて各町会の神輿が集まってきた際には、隣の神輿と連結してダッシュ。多い時には、3つの神輿との連結ダッシュ

転けたらヤバイという緊張感と、神輿を担ぎながら走るという高揚感の効果で、アドレナリンが出てくる出てくる。「爽快」という言葉がピッタリ。

勿論、魅力はそれだけではない。
一件一件小田原の町中のお店を回っていく中で、「(昔はなかった)こんなお店があったのか」「やはり小田原は練り物の町なんだな」など、地元として知っていたはずの場所に対する新たな発見があったし、小田原に昔から住んでいる人たちとの何気ない交流も、やはり心温まるものがあった。(自分は地元を出た人間だから、余計)

最後に、今でも鮮明に残っているシーンがある。いわゆる「宮入り」だ。

日暮れの時刻を過ぎ、自分たちのお神輿の宮入りの順番をじっと待ち、その時は来た。
沿道の両側には赤い提灯が連なる屋台が構えており、太鼓の音が聞こえる。

合図があり、今までにないほど長い距離を神輿を担いで駆け抜ける。そして、交差路を直角に曲がる。ググっと重力を感じつつも体勢を立てなおして鳥居を目の前にすると、そこには大勢の観衆が待ち構えていた。その中を、文字通り、疾走した。

『このときのために一年間やってるようなもんだもんね』と担ぎ手の一人がつぶやいていた通り、それはまさに「感動」の瞬間。

神事であることは承知しているけれど、こんなエンターテイメント、なかなか味わえないと思う。


今回参加させてもらったメンバー