一般社団法人マツリズム設立と所信表明

本日、渋谷区法務局にて商業登記簿謄本を入手し、11/30に法人登記申請をしたものが正式に登録されていることを確認しました!

新卒で入った会社が金融業だったので、商業登記簿謄本はいくつも見てきたのですが、まさか自分の名前が載る日が来るとは思っていませんでした。
このタイミングで改めて、登記申請直後に書いた法人設立にあたっての所感をこちらのブログに掲載します。

今年6月末をもって3年8ヶ月勤めたクロスフィールズを退職いたしました。素晴らしい仲間とともに、大きな志を持った方々と仕事をさせてもらったことは、人生の貴重な財産となりました。お世話になった皆さん、これまで応援してくれた皆さんに心から感謝をしています。

退職の理由は「祭を通じて人と地域のつながりをつくる」新しい仕事に挑戦するためです。2年ほど前から沸々と湧いてきた衝動に乗って、一歩踏み出す決断をしました。

その後5ヶ月は、全国の祭りを巡りつつ、自分が本当にしたいことを尖がらせてきました。祭りに飛び込みながら、感動したり、時には怒鳴られたりもしながら、想いを育ててきました。ほぼ無職の状態が続く中で不安に苛まれたこともありましたが、様々な人のサポートのおかげで前に進むことができました。

そして、2016年11月30日に一般社団法人マツリズムとして登記申請をいたしました。

ホームページ:http://ma-tourism.strikingly.com/
Facebookページ:https://www.facebook.com/matourism.jp/
(しばらくはこちらで情報発信します。「いいね!」も大歓迎です)

学生時代に「祭りとは何か?」という問いを持ちはじめ、10年以上、様々な人との関わりや経験の中で模索し続けながらたどり着いた一つのかたちです。

僕にとって祭りは幼少期からの憧れであり、人生で一番の危機を救ってくれた恩返しの対象であり、人間の「美しさ」が凝縮された愛すべき存在です。

祭りを地域における"円陣"と捉え、その価値を再定義し最大化することで、世代や職業や価値観を超えた緩やかなつながりが生まれ、日本が抱える様々な課題の解決にも通じるものと信じています。そしてその賑わいは、海を越えて広く世界に伝わっていくはずです。

光は見えています。
しかし、足元はまだまだ全然おぼついていません。到底一人だけでできることでもなく、これからたくさんの協力が必要です。光を捉え続け、それを表現し、誰かと共に希望に変えていくことが私の仕事だと思っています。

「新しい仕事を通じてたくさんの笑顔と歓びを生み出せますように。」

33歳を迎えて初めての神社へのお参りでは、一丁前にこんなことを願いましたが、もう一度。

これを見ていただいたご縁に感謝。
引き続きどうぞよろしくお願いします!

 

2016年12月1日 大原 学

 

「わっしょい!」でつながる夜(秩父夜祭り体験記)

気温0℃を下回る夜の秩父。今年はこれでも暖かいと言われるが、身体には堪える寒さだ。夜9時、クライマックスの団子坂に近づくにつれ、徐々に曳き手のテンションが上がっていく。山車の曳き手は100人以上と十分な数がいるので一人一人の負担は少ないが、縄を持つ腕に伝わる車輪の振動を通じて、自分が「祭りの担い手」だということを意識させられる。
それにしてもものすごい数の観客。沿道には人、人、人。家やビルの二階、三階、屋上にも人が溢れ、こちらを見つめている。それに向かって、曳き手である私は「わっしょい!わっしょい!」と声を掛ける。すると沿道の方々から「わっしょい!」の声が返ってくる。目が合って、"前のめりの気配"を感じた人とは、ハイタッチをする。特に自分の母親よりも少し上のおばちゃん世代はとっても元気で、声と笑顔とハイタッチのコミュニケーションを交わす。

秩父夜祭り。山車と曳き手を通じて、多くの人が祭りと「つながる」夜。

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秩父夜祭りとは
毎年12月2日/3日に行われる埼玉県秩父市の「秩父夜祭」。秩父神社例大祭にも位置づけられ、300年以上の歴史を持つ、祇園祭高山祭と並んで日本三大曳山(ひきやま)祭りに数えられる『豪華絢爛』なお祭り。10mを超える大型の山車や傘鉾(かさぼこ)が6基運行され、それぞれの彫刻の美しさ、鳴り止まないお囃子、神楽の舞、真冬の夜空に広がる花火と、まさに祭りの醍醐味を詰め込んだ総合芸術といえる。

今回は昨年に引き続き中町地区に声掛けをいただき、3日の夕方から山車を引かせていただいた。

祭りの由来
良いか悪いかは別として、このあたりも知っていると"粋"に楽しめる。
(今年の流行語にもなったけれど、いつの世も男女の色恋はドラマを生む)

最も知れ渡っている有名な伝説は武甲山男神(蛇神・蔵王権現)と秩父神社の女神(妙見菩薩)が年に一度の逢瀬を楽しむというものである。
男神には正妻がいて、神幸路の途中にある諏訪神社の八坂刀売命であるとされ3日の番場町諏訪渡りは年に1度の逢瀬を楽しむ許可を求める祭礼だといわれている。
神幸祭のときに諏訪神社の前を通過する際に各町会の山車は正妻の女神を怒らせないように例外的に屋台囃子の演奏を止め数メートルすすむ。この風習も諏訪渡りと呼ばれている。

http://www17.plala.or.jp/birdone11313/zatugaku1.5.html より抜粋


ユネスコ無形文化遺産登録へ
今年は祭り前日の12月1日未明に、秩父夜祭りを含む全国33行事の「山・鉾・屋台行事」がユネスコ無形文化遺産登録が決定した。加えて今年は本祭である3日が土曜日に当たったことも重なり、30万人を超える史上最高の人手だったという。 


祭りに飛び込む
祭りの衣装は大切。衣装を身に付けることで、自分が担い手側であることを示すと同時に、その町の誇りと責任も身に纏うことになる。担い手は祭りの一部。どうせ着るなら格好良く、ということで中町の方に鉢巻の締め方を教えてもらう。

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メインである本祭夜の部がスタートしたのは夜の17時半から。一年で一番日が短い季節。この時間にはすっかり日も暮れている。

山車を曳くという行為は一見地味だが、ここでは「わっしょい!わっしょい!」と威勢良く声を発し観客も呼応するということを通じて、互いに祭りを盛り上げ、楽しく時間を過ごすための工夫をする。(人は「わっしょい」と発声するだけで嬉しい気持ちになれる、というのが今回改めての気づき)

地元の男衆の、かなりの重量の山車を旋回させる技術、滞りなく祭りを運行していくためテキパキとした動き、山車の上に乗る方々のピクリとも笑うことのない硬派の表情は、気持ちいいくらい格好いい。そして祭りギャルたちの工夫を凝らしたお洒落な装いも必見!(分野関わらず、やはり今の時代、女性の方が元気があるなと改めて実感)

そして、クライマックスはやはり団子坂だ。
6基の山車が集まる御旅所の前の短くて急な坂を、曳き手全員の力を合わせて山車を引き上げる。その瞬間にババババーンと、一気に花火が上がる。

一生に一度しか担うことのできないという舵取り役(山車の上で提灯を持つ役)の四人にとっては、人生で一番のハイライトになるかもしれない興奮の瞬間。

山車を引き上げた瞬間は爽快で、安堵と達成感に包まれる。

その後、御旅所で神事を終え、町まで山車を引き降ろしを行い、すべての行程が終わったのは午前3時前。これが「夜祭り」たる所以か。歩き疲れて身体はヘトヘトだが、心はホクホクあたたかい。

また来年も、この祭りが盛大に行われることを願って。

 

祭りは続く。

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闇を照らす一筋の光(小浜紋付祭り体験記)

星空が広がる山合いの夜の闇を切り裂くように、提灯が放つ優しい光とともに太鼓台が移動していく。町に近づくと、まるで湧いてくるかのように子どもたちが駆けつけ、その数が増えていく。お囃子の音に呼び覚まされるがごとく町の老夫婦が窓を開け笑顔でこちらを覗く姿が見えてくる。一番のクライマックスである交差点に到着し、4つの太鼓台が勢ぞろいした時、その盛り上がりは最高潮に達する。
今も記憶に残るその音、色、空気。私はこの町の日常を知らないけれど、特別な瞬間に居合わせているのは感じ取ることができた。

祭りは闇を照らす一筋の光。そう、希望なのだ。

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小浜紋付祭りとは
毎年体育の日を挟んだ10月の3連休に行われ、旧岩代町(現在の福島県二本松市)の小浜地区にある塩松神社秋季例大祭と位置付けられ、230年頃前から始まったと言われるお祭り。紋付袴で練り歩く行事があることから、この名称となっているようだ。それだけでなく、計4つの字(あざ)による太鼓台の運行、提灯、そして仮装と、祭りの面白さが詰め込まれている。
伝統の祭囃子が響く小浜紋付祭 イベント・祭り 見どころ紹介 岩代観光協会

しかし当地区も過疎化の影響を免れることができず、若連(祭りの担い手)不足に悩んでいるということもあり、今回その経緯の中で声掛けをいただき、参加させていただいた。

お祭りに実際に身を浸す
前日まで鹿沼の祭りに二日間参加していた疲れからか、朝6時の電車に飛び乗ったはいいが目的の二本松駅を寝過ごして通過。ようやく到着した二本松駅の観光案内所で、小浜の紋付祭りのチラシはないかと尋ねるも「置いていない」とのことで、大丈夫かと思いながらおそるおそる小浜行きのバスを捕まえる。
バス停を降りると、そこでは立派な紋付袴を来て一件一件を家を回る儀礼が行われていた。城下町だった頃の名残だろうか。立派な袴で、数十万もすると聞く。

近くの酒屋さんで御神酒を購入し、目当てである新町若連に合流した後、お昼を食べる。いきなりのビールにスパゲッティナポリタン。美味しい。緊張していたが、自己紹介を終えた後、若連の方々はとても気さくに積極的に絡んでくれた。ここの若連は数え年で18歳から39歳まで。歳が近い人が多かったことで親近感も湧き、とにかく彼らの会話が楽しいこともあり、一気に打ち解けてしまった。

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集会所に移動して衣装を着替えた後は、午後の太鼓台運行が始まる。
午前中は厳かなお祭りの雰囲気だったが、「午後からは楽しくいきましょう!」と声をかけられ、口紅を使って顔に落書きを始める。これも数十年続く伝統らしい。
「神様はあんまり自分の容姿に自信がないため、自分たちが敢えて変な顔をすることで安心してもらうためにこうしているんだ」と、若連の方が話してくれた。どこか優しさを感じるいい話だ。

太鼓台の上で大きな旗を振る若連とともに、「わっしょい、わっしょい!」の掛け声の応酬をしながら進む。はじめは縄を引くパートを担当していたが、途中から太鼓台を動かすパートも担わせてもらった。木製の車輪が付いた太鼓台を動かす際の負担は大きく、息を合わせて一気に動かさなくてはならない。(低重心での横移動はソーラン節や和太鼓で慣れているのでテンションが上がる)


動画は受け入れて頂いた新町の湊純人さんのブログより拝借
2016年10月12日のブログ|石一段目のブログ


10月中旬にも関わらず、ある町では簡易プールのような樽に入って水浴びをしているし、とにかく、酒を飲む飲む。見物している町の方から焼き鳥をいただいたり。楽しい。カオス!

太鼓台の運行を終えて神社に着いた頃には、酒に酔っ払って立ち寝していた。まぶたが半開きなまま肩を抱えてもらいながら神社まで階段を登り、神事を執り行う(記憶には残念ながらほとんど無い)。神社を降りてきた頃、ようやく目が開いてきた。


夜は一転、幻想的な雰囲気に。冒頭の通り星空と提灯という幻想的な風景が広がり、太鼓のお囃子が場を盛り立てる。

どこからか小学生がやってきて、一緒に縄を引くことになった。引っ越してきたばかりでまだあまり友達がいないという。話を続けていると、途中で「友達になって」と言われ、「まなぶ〜」と呼ばれ始めた。こうやって子供とじっくり関わったり「友達」になるなんて久しぶりだ。

中心地にの交差点に入ると4町合同のお囃子が行われる。そして若連の人たちが前に出て、各代表が「口上」を述べる。こうして祭りが受け継がれていく...

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ハロウィンの先駆け?と祭りへの愛情

次の日は見学。仮装をしながら太鼓台の運行。
仮装も伝統なんだという。たかが仮装。されど仮装。クオリティが高い。気合いの入り方が違う。「ステージ」という名のトラックの荷台上でのパフォーマンスもあり、町の人の爆笑を誘う。

この人たちは、いい人たち過ぎる。「祭りを愛している」と語るその言葉が本物なのだと、その行動を通じて感じる。ここでいう"祭りが好き"というのは、"この町が好き"と同義で、この町を人たちを喜ばせたいと本気で思っているのが伝わってくる。

人があって祭りがある。祭りがあって、町がある。

お祭りに対する思いを綴った、湊和也さんのブログ
明日より三日間「小浜の紋付祭り」が開催です!! | 湊和也のMASON'S HIGH!!

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お祭りで感じた「異文化
ある若連の方はOBに対して、「この町を出ていってしまって申し訳ない」と謝っていた。(隣町に住んでいるだけなのに...)
また、ある方はふとした会話の中で、「いわきに単身赴任している」という表現をしていた。(同じ県内で単身赴任?と一瞬言葉を疑った..)

私の中での常識とまた違う文脈で生きている人たちがいる。そして都会の当たり前が通用しない世界は、こんなにも身近にあることが不思議でならなかった。そこにはまた別の生き方があるし、こういう人たちにお祭りは支えられている。

異文化。だからこそ、通じ合えると嬉しい。楽しい。


祭りは続く。

これも祭りのうちだから(鹿沼秋まつり体験記)

「何してるんだ。お前はこの町の恥だ!」
祭りで一番の見せ場といわれる"ぶっつけ"の最中、ある粗相を犯してしまった自分は、地元の祭りの担い手の方に腕を掴まれ引っ張られ、鬼の剣幕で囃し立てられた。

祭りには侵してはならない禁忌事項がある。理解していたつもりでいたけれども要領を得ず、一線を踏み越えそうになった瞬間に起きたこと。はじめは何が起きたのか全然分かっていなかったが、冷静に振り返った時、自分の非を反省をして謝った。

「これも祭りだから。敢えて言ってるんだ。終わったこと。気にすんな。」

こんな風に怒鳴られたのはおそらく新入社員以来のことで、しばらくショック状態が続いた。しかし、初めて参加したソトモノにも真正面から向き合ってくれるのは優しさ。こうして「守る人」がいるから、祭りが今も続いているのだ。

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鹿沼秋まつりとは
栃木県鹿沼市で毎年102週目の土日に行われる、400年以上前に「雨乞い」を目的に始まったお祭りで、今宮神社の例祭とも位置づけられる。今年は24の町会がそれぞれの屋台と共に参加した。

 
 

http://www.buttsuke.com/index.html

その荘厳な屋台行事は、国指定の重要民族無形文化財にも指定されており、現在ユネスコ無形文化遺産に申請し、採択がほぼ決定的となっている。屋台については、京都の祇園を起源とするも、日光の文化の影響も色濃く受けているという。

私が参加させていただいた町会の屋台の彫り物は細部まで拘っており細部まで美しかった。また、お囃子も粋なリズムで「格好良い」と惚れ惚れしてしまうものであった。
準備や何気ないコミュニケーションから担い手の方々の誇りと愛情が伝わってくる。

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主に担わせてもらったのは2トン以上ある屋台を後ろから押すこと。前の方に方向を指示する方がおり、その合図に合わせて、尾尻を振るように少しずつ向きを変えていく。全てが人力で行われるため、かなり負担は重い。

1日目は人数が少なかったため自分も屋台を押すことができたが、2日目は人数が増え、それぞれが持ち場をつくり始め、良い場所は取り合いになる。役割を一旦逃してしまうと、なかなか中に入ることは難しく、もどかしい思いをすることもしばしばだった。

お祭りの開始は早朝6時から。屋台を曳きながら町内巡りを行ったあと、午後に他の町会との連合屋台曳き回し、夕方にメインイベントである「ぶっつけ」行事を行い、また町内を巡って終わる。10時近くまで(ヘトヘトになるまで)祭りは続く。

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打ち上げを終えた後の宿泊場所は「会館」と呼ばれる場所で、寝袋を広げて地元の方々10数名と共に寝ることとなった。眠りにつくまでお酒を飲み交わしながら、深夜まで熱い語りが繰り広げられる。70歳を超えるような地域の重鎮の方から、地域の次代を担う18歳までが同じ空間にいて、世代を超えて真剣な表情で向き合っている。「祭り」というと、祭り当日のハレの日のことを想像するが、毎年誰かが準備に準備を重ねてつくりあげられるものなのだと、横でそのお話を聞きながら改めて認識する。

驚いたのは、会館の外に簡易風呂があったこと。地元の担い手の方々が手作りでつくったもの。秋の夜の寒さをしのぐため、一気に体を温められる風呂は本当にありがたかった。

深夜2時に寝落ちして、起床は早朝5時。
朝起きると、地元の方々との心の距離が少しだけ近づいた気がした。


冒頭の話に戻る。
今回の出来事は心に深く刻まれることとなった。あの人が怒鳴ってくれていなかったら、自分はもっと痛い目に遭っていたかもしれない。こうして祭りの精神は受け継がれ、伝統がつくられていくのだと体感することができた。感謝。


 祭りは続く。

心揺らめく生命のリズム(二本松提灯祭り観戦記)

ずっと鳴り響いていたお囃子の音が消え、最後の提灯の蝋燭の炎が消えたのは、午前一時を回っていた。三本締めの後、祭りの担い手である「若連」を引っ張ってきた会長を筆頭に、祭の功労者が次々と胴上げされる。夕暮れから彼らと共に歩きはじめて、すでに7時間以上が経過していた。ハレの舞台の若連たちのピンと張った緊張感がようやく解けた瞬間だった。

金木犀の香りを運ぶ秋風に吹かれながら、真夜中に青春の一風景を見た。

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概要

二本松提灯祭り(二本松神社例大祭)は、毎年10/4,5,6に行われる。350年以上の歴史を持つ日本三大提灯祭りの一つで、独特なお囃子が福島県重要無形民俗文化財に指定されている。私は最終日の夕方から観戦させてもらった。

二本松提灯祭り2016の日程と見どころ。歴史や駐車場は? | 季節お役立ち情報局


若連とは

若連とは18歳から35歳までの男子で構成されるお祭りの担い手となる集団。若連は一部の二本松の子供にとって今も憧れの対象。

「若連人生 〜いのち華やぐ〜」
テレビで二本松提灯祭りが特集された際の題字の如く、
若連たちはこのお祭りに人生を賭けている

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ダイドー祭りドットコム2016 | これまで応援した祭り | 2006年の二本松のちょうちん祭り


「祭りのヒーロー」を追って

実はこのお祭りを知ったのはまだ2ヶ月ほど前のこと。あるご縁で二本松に行った際、地元の方に二本松提灯祭について話を聞いたときに、異常とも言えるほどの熱量を感じた。これに興味をそそられ、詳しい話を聞くため、改めて現役若連の(Kさん(仮)に時間をいただき、このお祭りやそれに懸ける想いについて伺った。

正直、その話に度肝を抜かれた。年齢は自分よりも下であるが、それはもう惚れ惚れするようなリーダーシップの持ち主で、3時間以上の続いた熱い語りが終わる頃には、私はすっかりKさんの"ファン"になってしまった。

「小さい頃の夢は若連になることだった」というKさんは、一見すると現代風の好青年。しかし、若連の中で城下町独特の保守性や、脈々と受け継がれてきた組織の伝統と対峙しなければならないジレンマを抱え、それを乗り越えることで鍛え上げられた心の強さは半端でなかった。答えに窮するであろう質問に対しても小気味よく返すその姿に、ある種の哲学すら感じたものだ。

そんなKさんが「年に100日以上も準備に費やす」というお祭りが、楽しみでないはずはない。私はお祭り自体を楽しみながらも、厳しい表情で慌ただしく動くKさんを追っていた。スポーツ観戦と同じように、お祭りの場合もこうして「目当ての誰かを追う」ことができるとお祭り観戦の楽しさは倍増する。

f:id:anmojapan:20161010024724p:plain ※写真はKさんとは無関係です

祭りの特徴

このお祭は、いわゆる山車を引くというスタイルで(ここでは太鼓台という)、7つの字(あざ)がそれぞれの太鼓台を独特の囃子のリズムに乗せて街を練り歩く。

提灯にはランプではなく蝋燭が入っている。蝋燭の火は消してはならないため、祭の最中には、常に新しいものと交換する作業を延々と行わなくてはならない。
天然の炎が作り出す揺らぎは幻想的でとても美しく、強烈な「生」を感じた。

主役のお囃子は小気味の良いリズムで鳴り響く。また曳き回しと呼ばれる太鼓台が曲がって進行する際には、音色が大きくなりリズムも早まったりと、様々な変化を見せる。2トンほどある太鼓台を回転させるのも人力なので、男衆は目一杯の力を使って、「ガリガリガリ」と轟音を立てて太鼓台を回転させる。そして太鼓台の後ろでは地元の若者たちが「わっしょい!わっしょい!」と威勢のいい掛け声で囃し立てる。曳き回しの時の胸にグッとくる高揚感は、何とも言葉にし難いものがあった。 

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途切れることのないお囃子のリズムと、提灯が次々に入れ替わっていく光景は、体の隅々まで血液を流すポンプである心臓と、血液を構成する赤血球を想起させた。それぞれの太鼓台はまるでそれが一つの生き物であるかのように動き続け、二本松の夜を切り刻んでいった。

祭りは続く。

 

Think Big!で世界を変える!! 〜スサノヲ3期を終えて〜


「祭が終わった。」

100 人を超える聴衆の前でピッチをするデモデイを終えたあとの達成感、その二日後のプログラム閉講式での感動、そしてそれらを終えたあとのなんとも言えない寂寥感は、まさにその感覚だった。

はじめは''プログラム同期生''ということしか共通点のなかった17組のメンバーは、気づけば''戦友''とも呼べる大切な仲間になっていた。少なくとも僕はそう思っている。
 
2016年3月16日 SUASANOO3期デモデイ

これまで公に明かすことはなかったが、実は2年ほど前からMa-tourism(地域のお祭り体験ツーリズム)というものを構想し、仲間と動き始めていた。そして昨年10 月、Ma-tourismとして「SUSANOO」というETIC主催のプログラムに応募をし、無事採択をされた。それ以来毎週火曜日に、プログラム受講生としてメンタリングなどを受けさせてもらっていた。

Ma-tourism(マツリズム)
ソーシャルスタートアップ・アクセラレーションプログラム『SUSANOO』

SUSANOOが一体どんなプログラムかということについては、今回3期生として共にプログラムに参加した日本ふんどし協会会長の中川ケイジさんのブログやSUSANOOプロジェクトリーダーの渡邊賢太郎さんのブログがとてもよくまとまっているので、そちらをご覧いただきたい。


前置きが長くなってしまったが、先日、これまで温めてきた企画についてのお披露目とも呼べる舞台があり、8分間のプレゼンテーションを行った。それに向け、さまざまな方の協力を得ながら4ヶ月間準備をしてきた。
当日の会場には、古くからの友人や職場の同僚、家族も来てくれ、その存在は心強く、大きな力を与えてくれた。



しかし、この舞台にたどり着くまでには4ヶ月を遥かに超える月日がかかった。僕と関わったことのある人ならば、10年以上前から「祭り。祭り」と言っていたことをご存知であろう。大学を卒業して何年経っても同じことを語っていて、なぜか祭りに固執してしまう自分を憎んだことも、そういうものから遠ざけようとしたこともあった。でも、そうやって固執するのにも何か理由があって、ある種の長所なんじゃないかと思い始めることができたのは、祭りをより身近に感じるため品川区から墨田区に引越した2013年の年末頃からか。

浅草の河童橋筋商店街で、それを物欲しそうに見つめる自分に気づいた友人は、『クリスマスプレゼントや!』と言って「祭」と書かれた特大うちわをプレゼントしてくれた。

Ma-tourismというアイデアは、そんな環境に引越して2,3ヶ月も経たないうちに降りてきた。仲間に話し、さまざまな人たちとともに、少しづつ試行を重ねた。たくさんの笑顔に出逢うことができたと同時に、祭に関して様々な課題も知ることとなった。僕の人生は豊かになった。

それでも、そのことをなかなか公言はできなかった。臆病者だということに加え、祭りはあくまで遊びや趣味だという固定観念が強くあったから。



でも今は違う。「僕はこういう活動をしている」と堂々と話すことができる。
それは、SUSANOOという"キッカケ"があったから。

悩んでいた自分に「これ応募してみたらどうですか?」と強力に背中を押してくれた後輩。
「どうかなぁ?」と相談したら、「出そう!」と即OKしてくれ、締切前日に徹夜で共に書類を仕上げてくれたパートナー。
側から見れば呆れるほどの難しい課題に対し、明るく立ち向かっていくSUSANOO3期の仲間や先輩起業家の方々。
様々なヒアリングに付き合って頂いたお祭りの担い手の方々や、Ma-tourismにこれまで参加してくれたメンバー。
まさに"尽力"という言葉がしっくり来るほど、向き合ってくれた事務局の方々。
このチャレンジを全力で応援してくれた職場の仲間。
最後までプレゼン資料にアドバイスをくれた先輩、後輩。
そして、会場で一緒に盛り上げてくれた仲間たち。

本当に、ありがたい。
キッカケがあったからこそ生まれた会話がたくさんあった。


【デモデイ当日のプレゼンはこちら】

 
舞台に上がる前のピリピリした緊張感、コールに応えるかたちで応援してくれた仲間の顔を見たときの安堵感は今でも鮮明に覚えている。
 
まだまだ改善の余地はあるけれど、これが今の精一杯。

もし共感したらシェアしてもらえたら嬉しいし、感想やフィードバックなどがあればコメントやメール(anmojapan@gmail.com)をいただけるととてもありがたいです。


終わりは始まり。
祭りが終わった感覚に浸ったあとは、次の祭を目指して一歩踏み出す。
このご恩については、ひとつひとつの行動と成果で返していこう。

"Think Big!" 
SUSANOOで学んだこと、これだけは忘れないように。

そしてまた出会うべく新たな仲間とも、こんな最高の円陣が組めたら嬉しい。




「荒ぶる」ところ、
「あLOVEる」ところ、
  それが"SUSANOO"
 
 
 
 

「"夏"が来た!」秩父川瀬祭り(埼玉県秩父市)


風通しの良い家の二階の畳の上でうたた寝していると、どこからともなく聞こえてきた秩父屋台ばやしの太鼓の音で思わず目が覚める。今日が「祭り」だということをふと思い出す。

祭りの衣装に着替えて気持ちを整え、少しばかりの気合を入れる。今回曳かせてもらったのは、中町の笠鉾(かさぼこ)。色鮮やかなピンクの花びらと、細部まで施された彫刻はまさに芸術作品。そこに子供が乗り、「寳来(ほうらい)」という言葉を続けて発声する。地元秩父の小学六年生が主役で笠鉾に乗るのは昔は男子だけだったものが、数年前から女子もOKになったそう。



運行役と呼ばれる若手の頭が笠鉾の進行方向を見極め、準備が整ったと判断すると、じゃらんじゃらんと鐘を大きく響かせる。それをスタートの合図に、綱を引っ張って町の中を進んでいく。一見するとただ歩いているだけのようにも見えるが、初動の際のグイッと来る感覚は気持ちいいし、道を曲がるときの臨気応変な動きを求められる緊張感もたまらない。総じて、皆真剣そのもの。

綱の曳き手は、笠鉾に近いところから、大人の男・中高生男子・女性・子供と綺麗に分かれている。ちなみに休憩時も地元の男たちはその場を離れず、休憩するのは女性と子供のみ。運行役の他にも、様々な役職を地域の中核を担う男たちが担っている。



秩父で有名なのは日本三大夜祭と言われている秩父夜祭。夜祭も川瀬祭りもどちらも秩父神社のお祭りなのだが、地元では夜祭を「冬祭り」「大人の祭り」と呼び、一方秩父川瀬祭りを「夏祭り」「子供の祭り」とも表現する。両者で山車や笠鉾の大きさなどは異なるものの、共通しているのは秩父独特の太鼓と篠笛の音色「秩父屋台囃子」である。山車の車輪のすぐで上で激しいリズムをずっと叩いているのだが、敢えて隠して見せないようにするのがなんとも粋だ。

秩父川瀬祭に関しては、300年頃前に、疫病退散を目的に、京都の祇園祭りをもとに創られたと言われており、今でも「お祇園」という表現が残っている。各町ごとに山車や笠鉾のデザインも違い、すれ違うときなどに、太鼓の音色を合わせて互いに掛け合いをする様子は圧巻。



そして、夜には提灯がつき、幻想的な風景が広がる。



大迫力との花火ともコラボする。



川瀬祭りのもう一つのクライマックスはこちらの「神輿洗い」
今回は生で見ることはできなかったが、400キロのお神輿を担いだまま荒川に入っていく。今年はお祭りの2日ほど前に台風が来ていため、川も増水していたためかなり緊張感があったのではないかと思われる。



今回は2日間参加させてもらい、真夏の炎天下や夕立にも似た雨なども経験した。昼、ミンミンゼミが威勢よく鳴いていると思えば、気づくと夕方にはヒグラシの音が刹那を感じさせてくれる。小さかった頃の「夏」がありありと蘇ってくる。



P.S.
とあるご縁でお祭りゴミ拾いボランティアもさせていただくことになった。これを通していろいろな問題点も沸き上がってきたが、歩くことで街を知り、地元の中高生の甘酸っぱいやり取りを観察し、お祭りに来てる方々とのコミュニケーションもでき、とても良い機会となった。



激しさ、美しさ、神秘さ、荘厳さといろいろなものが凝縮された真夏の祭典、秩父川瀬祭り。来年7月19日、20日は是非足を運んでみてはいかがでしょうか。