マツリテーターへの道

日常に"祭り"というスパイスを

闇を照らす一筋の光(小浜紋付祭り体験記)

星空が広がる山合いの夜の闇を切り裂くように、提灯が放つ優しい光とともに太鼓台が移動していく。町に近づくと、まるで湧いてくるかのように子どもたちが駆けつけ、その数が増えていく。お囃子の音に呼び覚まされるがごとく町の老夫婦が窓を開け笑顔でこちらを覗く姿が見えてくる。一番のクライマックスである交差点に到着し、4つの太鼓台が勢ぞろいした時、その盛り上がりは最高潮に達する。
今も記憶に残るその音、色、空気。私はこの町の日常を知らないけれど、特別な瞬間に居合わせているのは感じ取ることができた。

祭りは闇を照らす一筋の光。そう、希望なのだ。

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小浜紋付祭りとは
毎年体育の日を挟んだ10月の3連休に行われ、旧岩代町(現在の福島県二本松市)の小浜地区にある塩松神社秋季例大祭と位置付けられ、230年頃前から始まったと言われるお祭り。紋付袴で練り歩く行事があることから、この名称となっているようだ。それだけでなく、計4つの字(あざ)による太鼓台の運行、提灯、そして仮装と、祭りの面白さが詰め込まれている。
伝統の祭囃子が響く小浜紋付祭 イベント・祭り 見どころ紹介 岩代観光協会

しかし当地区も過疎化の影響を免れることができず、若連(祭りの担い手)不足に悩んでいるということもあり、今回その経緯の中で声掛けをいただき、参加させていただいた。

お祭りに実際に身を浸す
前日まで鹿沼の祭りに二日間参加していた疲れからか、朝6時の電車に飛び乗ったはいいが目的の二本松駅を寝過ごして通過。ようやく到着した二本松駅の観光案内所で、小浜の紋付祭りのチラシはないかと尋ねるも「置いていない」とのことで、大丈夫かと思いながらおそるおそる小浜行きのバスを捕まえる。
バス停を降りると、そこでは立派な紋付袴を来て一件一件を家を回る儀礼が行われていた。城下町だった頃の名残だろうか。立派な袴で、数十万もすると聞く。

近くの酒屋さんで御神酒を購入し、目当てである新町若連に合流した後、お昼を食べる。いきなりのビールにスパゲッティナポリタン。美味しい。緊張していたが、自己紹介を終えた後、若連の方々はとても気さくに積極的に絡んでくれた。ここの若連は数え年で18歳から39歳まで。歳が近い人が多かったことで親近感も湧き、とにかく彼らの会話が楽しいこともあり、一気に打ち解けてしまった。

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集会所に移動して衣装を着替えた後は、午後の太鼓台運行が始まる。
午前中は厳かなお祭りの雰囲気だったが、「午後からは楽しくいきましょう!」と声をかけられ、口紅を使って顔に落書きを始める。これも数十年続く伝統らしい。
「神様はあんまり自分の容姿に自信がないため、自分たちが敢えて変な顔をすることで安心してもらうためにこうしているんだ」と、若連の方が話してくれた。どこか優しさを感じるいい話だ。

太鼓台の上で大きな旗を振る若連とともに、「わっしょい、わっしょい!」の掛け声の応酬をしながら進む。はじめは縄を引くパートを担当していたが、途中から太鼓台を動かすパートも担わせてもらった。木製の車輪が付いた太鼓台を動かす際の負担は大きく、息を合わせて一気に動かさなくてはならない。(低重心での横移動はソーラン節や和太鼓で慣れているのでテンションが上がる)


動画は受け入れて頂いた新町の湊純人さんのブログより拝借
2016年10月12日のブログ|石一段目のブログ


10月中旬にも関わらず、ある町では簡易プールのような樽に入って水浴びをしているし、とにかく、酒を飲む飲む。見物している町の方から焼き鳥をいただいたり。楽しい。カオス!

太鼓台の運行を終えて神社に着いた頃には、酒に酔っ払って立ち寝していた。まぶたが半開きなまま肩を抱えてもらいながら神社まで階段を登り、神事を執り行う(記憶には残念ながらほとんど無い)。神社を降りてきた頃、ようやく目が開いてきた。


夜は一転、幻想的な雰囲気に。冒頭の通り星空と提灯という幻想的な風景が広がり、太鼓のお囃子が場を盛り立てる。

どこからか小学生がやってきて、一緒に縄を引くことになった。引っ越してきたばかりでまだあまり友達がいないという。話を続けていると、途中で「友達になって」と言われ、「まなぶ〜」と呼ばれ始めた。こうやって子供とじっくり関わったり「友達」になるなんて久しぶりだ。

中心地にの交差点に入ると4町合同のお囃子が行われる。そして若連の人たちが前に出て、各代表が「口上」を述べる。こうして祭りが受け継がれていく...

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ハロウィンの先駆け?と祭りへの愛情

次の日は見学。仮装をしながら太鼓台の運行。
仮装も伝統なんだという。たかが仮装。されど仮装。クオリティが高い。気合いの入り方が違う。「ステージ」という名のトラックの荷台上でのパフォーマンスもあり、町の人の爆笑を誘う。

この人たちは、いい人たち過ぎる。「祭りを愛している」と語るその言葉が本物なのだと、その行動を通じて感じる。ここでいう"祭りが好き"というのは、"この町が好き"と同義で、この町を人たちを喜ばせたいと本気で思っているのが伝わってくる。

人があって祭りがある。祭りがあって、町がある。

お祭りに対する思いを綴った、湊和也さんのブログ
明日より三日間「小浜の紋付祭り」が開催です!! | 湊和也のMASON'S HIGH!!

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お祭りで感じた「異文化
ある若連の方はOBに対して、「この町を出ていってしまって申し訳ない」と謝っていた。(隣町に住んでいるだけなのに...)
また、ある方はふとした会話の中で、「いわきに単身赴任している」という表現をしていた。(同じ県内で単身赴任?と一瞬言葉を疑った..)

私の中での常識とまた違う文脈で生きている人たちがいる。そして都会の当たり前が通用しない世界は、こんなにも身近にあることが不思議でならなかった。そこにはまた別の生き方があるし、こういう人たちにお祭りは支えられている。

異文化。だからこそ、通じ合えると嬉しい。楽しい。


祭りは続く。

これも祭りのうちだから(鹿沼秋まつり体験記)

「何してるんだ。お前はこの町の恥だ!」
祭りで一番の見せ場といわれる"ぶっつけ"の最中、ある粗相を犯してしまった自分は、地元の祭りの担い手の方に腕を掴まれ引っ張られ、鬼の剣幕で囃し立てられた。

祭りには侵してはならない禁忌事項がある。理解していたつもりでいたけれども要領を得ず、一線を踏み越えそうになった瞬間に起きたこと。はじめは何が起きたのか全然分かっていなかったが、冷静に振り返った時、自分の非を反省をして謝った。

「これも祭りだから。敢えて言ってるんだ。終わったこと。気にすんな。」

こんな風に怒鳴られたのはおそらく新入社員以来のことで、しばらくショック状態が続いた。しかし、初めて参加したソトモノにも真正面から向き合ってくれるのは優しさ。こうして「守る人」がいるから、祭りが今も続いているのだ。

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鹿沼秋まつりとは
栃木県鹿沼市で毎年102週目の土日に行われる、400年以上前に「雨乞い」を目的に始まったお祭りで、今宮神社の例祭とも位置づけられる。今年は24の町会がそれぞれの屋台と共に参加した。

 
 

http://www.buttsuke.com/index.html

その荘厳な屋台行事は、国指定の重要民族無形文化財にも指定されており、現在ユネスコ無形文化遺産に申請し、採択がほぼ決定的となっている。屋台については、京都の祇園を起源とするも、日光の文化の影響も色濃く受けているという。

私が参加させていただいた町会の屋台の彫り物は細部まで拘っており細部まで美しかった。また、お囃子も粋なリズムで「格好良い」と惚れ惚れしてしまうものであった。
準備や何気ないコミュニケーションから担い手の方々の誇りと愛情が伝わってくる。

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主に担わせてもらったのは2トン以上ある屋台を後ろから押すこと。前の方に方向を指示する方がおり、その合図に合わせて、尾尻を振るように少しずつ向きを変えていく。全てが人力で行われるため、かなり負担は重い。

1日目は人数が少なかったため自分も屋台を押すことができたが、2日目は人数が増え、それぞれが持ち場をつくり始め、良い場所は取り合いになる。役割を一旦逃してしまうと、なかなか中に入ることは難しく、もどかしい思いをすることもしばしばだった。

お祭りの開始は早朝6時から。屋台を曳きながら町内巡りを行ったあと、午後に他の町会との連合屋台曳き回し、夕方にメインイベントである「ぶっつけ」行事を行い、また町内を巡って終わる。10時近くまで(ヘトヘトになるまで)祭りは続く。

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打ち上げを終えた後の宿泊場所は「会館」と呼ばれる場所で、寝袋を広げて地元の方々10数名と共に寝ることとなった。眠りにつくまでお酒を飲み交わしながら、深夜まで熱い語りが繰り広げられる。70歳を超えるような地域の重鎮の方から、地域の次代を担う18歳までが同じ空間にいて、世代を超えて真剣な表情で向き合っている。「祭り」というと、祭り当日のハレの日のことを想像するが、毎年誰かが準備に準備を重ねてつくりあげられるものなのだと、横でそのお話を聞きながら改めて認識する。

驚いたのは、会館の外に簡易風呂があったこと。地元の担い手の方々が手作りでつくったもの。秋の夜の寒さをしのぐため、一気に体を温められる風呂は本当にありがたかった。

深夜2時に寝落ちして、起床は早朝5時。
朝起きると、地元の方々との心の距離が少しだけ近づいた気がした。


冒頭の話に戻る。
今回の出来事は心に深く刻まれることとなった。あの人が怒鳴ってくれていなかったら、自分はもっと痛い目に遭っていたかもしれない。こうして祭りの精神は受け継がれ、伝統がつくられていくのだと体感することができた。感謝。


 祭りは続く。

心揺らめく生命のリズム(二本松提灯祭り観戦記)

ずっと鳴り響いていたお囃子の音が消え、最後の提灯の蝋燭の炎が消えたのは、午前一時を回っていた。三本締めの後、祭りの担い手である「若連」を引っ張ってきた会長を筆頭に、祭の功労者が次々と胴上げされる。夕暮れから彼らと共に歩きはじめて、すでに7時間以上が経過していた。ハレの舞台の若連たちのピンと張った緊張感がようやく解けた瞬間だった。

金木犀の香りを運ぶ秋風に吹かれながら、真夜中に青春の一風景を見た。

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概要

二本松提灯祭り(二本松神社例大祭)は、毎年10/4,5,6に行われる。350年以上の歴史を持つ日本三大提灯祭りの一つで、独特なお囃子が福島県重要無形民俗文化財に指定されている。私は最終日の夕方から観戦させてもらった。

二本松提灯祭り2016の日程と見どころ。歴史や駐車場は? | 季節お役立ち情報局


若連とは

若連とは18歳から35歳までの男子で構成されるお祭りの担い手となる集団。若連は一部の二本松の子供にとって今も憧れの対象。

「若連人生 〜いのち華やぐ〜」
テレビで二本松提灯祭りが特集された際の題字の如く、
若連たちはこのお祭りに人生を賭けている

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ダイドー祭りドットコム2016 | これまで応援した祭り | 2006年の二本松のちょうちん祭り


「祭りのヒーロー」を追って

実はこのお祭りを知ったのはまだ2ヶ月ほど前のこと。あるご縁で二本松に行った際、地元の方に二本松提灯祭について話を聞いたときに、異常とも言えるほどの熱量を感じた。これに興味をそそられ、詳しい話を聞くため、改めて現役若連の(Kさん(仮)に時間をいただき、このお祭りやそれに懸ける想いについて伺った。

正直、その話に度肝を抜かれた。年齢は自分よりも下であるが、それはもう惚れ惚れするようなリーダーシップの持ち主で、3時間以上の続いた熱い語りが終わる頃には、私はすっかりKさんの"ファン"になってしまった。

「小さい頃の夢は若連になることだった」というKさんは、一見すると現代風の好青年。しかし、若連の中で城下町独特の保守性や、脈々と受け継がれてきた組織の伝統と対峙しなければならないジレンマを抱え、それを乗り越えることで鍛え上げられた心の強さは半端でなかった。答えに窮するであろう質問に対しても小気味よく返すその姿に、ある種の哲学すら感じたものだ。

そんなKさんが「年に100日以上も準備に費やす」というお祭りが、楽しみでないはずはない。私はお祭り自体を楽しみながらも、厳しい表情で慌ただしく動くKさんを追っていた。スポーツ観戦と同じように、お祭りの場合もこうして「目当ての誰かを追う」ことができるとお祭り観戦の楽しさは倍増する。

f:id:anmojapan:20161010024724p:plain ※写真はKさんとは無関係です

祭りの特徴

このお祭は、いわゆる山車を引くというスタイルで(ここでは太鼓台という)、7つの字(あざ)がそれぞれの太鼓台を独特の囃子のリズムに乗せて街を練り歩く。

提灯にはランプではなく蝋燭が入っている。蝋燭の火は消してはならないため、祭の最中には、常に新しいものと交換する作業を延々と行わなくてはならない。
天然の炎が作り出す揺らぎは幻想的でとても美しく、強烈な「生」を感じた。

主役のお囃子は小気味の良いリズムで鳴り響く。また曳き回しと呼ばれる太鼓台が曲がって進行する際には、音色が大きくなりリズムも早まったりと、様々な変化を見せる。2トンほどある太鼓台を回転させるのも人力なので、男衆は目一杯の力を使って、「ガリガリガリ」と轟音を立てて太鼓台を回転させる。そして太鼓台の後ろでは地元の若者たちが「わっしょい!わっしょい!」と威勢のいい掛け声で囃し立てる。曳き回しの時の胸にグッとくる高揚感は、何とも言葉にし難いものがあった。 

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途切れることのないお囃子のリズムと、提灯が次々に入れ替わっていく光景は、体の隅々まで血液を流すポンプである心臓と、血液を構成する赤血球を想起させた。それぞれの太鼓台はまるでそれが一つの生き物であるかのように動き続け、二本松の夜を切り刻んでいった。

祭りは続く。

 

Think Big!で世界を変える!! 〜スサノヲ3期を終えて〜


「祭が終わった。」

100 人を超える聴衆の前でピッチをするデモデイを終えたあとの達成感、その二日後のプログラム閉講式での感動、そしてそれらを終えたあとのなんとも言えない寂寥感は、まさにその感覚だった。

はじめは''プログラム同期生''ということしか共通点のなかった17組のメンバーは、気づけば''戦友''とも呼べる大切な仲間になっていた。少なくとも僕はそう思っている。
 
2016年3月16日 SUASANOO3期デモデイ

これまで公に明かすことはなかったが、実は2年ほど前からMa-tourism(地域のお祭り体験ツーリズム)というものを構想し、仲間と動き始めていた。そして昨年10 月、Ma-tourismとして「SUSANOO」というETIC主催のプログラムに応募をし、無事採択をされた。それ以来毎週火曜日に、プログラム受講生としてメンタリングなどを受けさせてもらっていた。

Ma-tourism(マツリズム)
ソーシャルスタートアップ・アクセラレーションプログラム『SUSANOO』

SUSANOOが一体どんなプログラムかということについては、今回3期生として共にプログラムに参加した日本ふんどし協会会長の中川ケイジさんのブログやSUSANOOプロジェクトリーダーの渡邊賢太郎さんのブログがとてもよくまとまっているので、そちらをご覧いただきたい。


前置きが長くなってしまったが、先日、これまで温めてきた企画についてのお披露目とも呼べる舞台があり、8分間のプレゼンテーションを行った。それに向け、さまざまな方の協力を得ながら4ヶ月間準備をしてきた。
当日の会場には、古くからの友人や職場の同僚、家族も来てくれ、その存在は心強く、大きな力を与えてくれた。



しかし、この舞台にたどり着くまでには4ヶ月を遥かに超える月日がかかった。僕と関わったことのある人ならば、10年以上前から「祭り。祭り」と言っていたことをご存知であろう。大学を卒業して何年経っても同じことを語っていて、なぜか祭りに固執してしまう自分を憎んだことも、そういうものから遠ざけようとしたこともあった。でも、そうやって固執するのにも何か理由があって、ある種の長所なんじゃないかと思い始めることができたのは、祭りをより身近に感じるため品川区から墨田区に引越した2013年の年末頃からか。

浅草の河童橋筋商店街で、それを物欲しそうに見つめる自分に気づいた友人は、『クリスマスプレゼントや!』と言って「祭」と書かれた特大うちわをプレゼントしてくれた。

Ma-tourismというアイデアは、そんな環境に引越して2,3ヶ月も経たないうちに降りてきた。仲間に話し、さまざまな人たちとともに、少しづつ試行を重ねた。たくさんの笑顔に出逢うことができたと同時に、祭に関して様々な課題も知ることとなった。僕の人生は豊かになった。

それでも、そのことをなかなか公言はできなかった。臆病者だということに加え、祭りはあくまで遊びや趣味だという固定観念が強くあったから。



でも今は違う。「僕はこういう活動をしている」と堂々と話すことができる。
それは、SUSANOOという"キッカケ"があったから。

悩んでいた自分に「これ応募してみたらどうですか?」と強力に背中を押してくれた後輩。
「どうかなぁ?」と相談したら、「出そう!」と即OKしてくれ、締切前日に徹夜で共に書類を仕上げてくれたパートナー。
側から見れば呆れるほどの難しい課題に対し、明るく立ち向かっていくSUSANOO3期の仲間や先輩起業家の方々。
様々なヒアリングに付き合って頂いたお祭りの担い手の方々や、Ma-tourismにこれまで参加してくれたメンバー。
まさに"尽力"という言葉がしっくり来るほど、向き合ってくれた事務局の方々。
このチャレンジを全力で応援してくれた職場の仲間。
最後までプレゼン資料にアドバイスをくれた先輩、後輩。
そして、会場で一緒に盛り上げてくれた仲間たち。

本当に、ありがたい。
キッカケがあったからこそ生まれた会話がたくさんあった。


【デモデイ当日のプレゼンはこちら】

 
舞台に上がる前のピリピリした緊張感、コールに応えるかたちで応援してくれた仲間の顔を見たときの安堵感は今でも鮮明に覚えている。
 
まだまだ改善の余地はあるけれど、これが今の精一杯。

もし共感したらシェアしてもらえたら嬉しいし、感想やフィードバックなどがあればコメントやメール(anmojapan@gmail.com)をいただけるととてもありがたいです。


終わりは始まり。
祭りが終わった感覚に浸ったあとは、次の祭を目指して一歩踏み出す。
このご恩については、ひとつひとつの行動と成果で返していこう。

"Think Big!" 
SUSANOOで学んだこと、これだけは忘れないように。

そしてまた出会うべく新たな仲間とも、こんな最高の円陣が組めたら嬉しい。




「荒ぶる」ところ、
「あLOVEる」ところ、
  それが"SUSANOO"
 
 
 
 

「"夏"が来た!」秩父川瀬祭り(埼玉県秩父市)


風通しの良い家の二階の畳の上でうたた寝していると、どこからともなく聞こえてきた秩父屋台ばやしの太鼓の音で思わず目が覚める。今日が「祭り」だということをふと思い出す。

祭りの衣装に着替えて気持ちを整え、少しばかりの気合を入れる。今回曳かせてもらったのは、中町の笠鉾(かさぼこ)。色鮮やかなピンクの花びらと、細部まで施された彫刻はまさに芸術作品。そこに子供が乗り、「寳来(ほうらい)」という言葉を続けて発声する。地元秩父の小学六年生が主役で笠鉾に乗るのは昔は男子だけだったものが、数年前から女子もOKになったそう。



運行役と呼ばれる若手の頭が笠鉾の進行方向を見極め、準備が整ったと判断すると、じゃらんじゃらんと鐘を大きく響かせる。それをスタートの合図に、綱を引っ張って町の中を進んでいく。一見するとただ歩いているだけのようにも見えるが、初動の際のグイッと来る感覚は気持ちいいし、道を曲がるときの臨気応変な動きを求められる緊張感もたまらない。総じて、皆真剣そのもの。

綱の曳き手は、笠鉾に近いところから、大人の男・中高生男子・女性・子供と綺麗に分かれている。ちなみに休憩時も地元の男たちはその場を離れず、休憩するのは女性と子供のみ。運行役の他にも、様々な役職を地域の中核を担う男たちが担っている。



秩父で有名なのは日本三大夜祭と言われている秩父夜祭。夜祭も川瀬祭りもどちらも秩父神社のお祭りなのだが、地元では夜祭を「冬祭り」「大人の祭り」と呼び、一方秩父川瀬祭りを「夏祭り」「子供の祭り」とも表現する。両者で山車や笠鉾の大きさなどは異なるものの、共通しているのは秩父独特の太鼓と篠笛の音色「秩父屋台囃子」である。山車の車輪のすぐで上で激しいリズムをずっと叩いているのだが、敢えて隠して見せないようにするのがなんとも粋だ。

秩父川瀬祭に関しては、300年頃前に、疫病退散を目的に、京都の祇園祭りをもとに創られたと言われており、今でも「お祇園」という表現が残っている。各町ごとに山車や笠鉾のデザインも違い、すれ違うときなどに、太鼓の音色を合わせて互いに掛け合いをする様子は圧巻。



そして、夜には提灯がつき、幻想的な風景が広がる。



大迫力との花火ともコラボする。



川瀬祭りのもう一つのクライマックスはこちらの「神輿洗い」
今回は生で見ることはできなかったが、400キロのお神輿を担いだまま荒川に入っていく。今年はお祭りの2日ほど前に台風が来ていため、川も増水していたためかなり緊張感があったのではないかと思われる。



今回は2日間参加させてもらい、真夏の炎天下や夕立にも似た雨なども経験した。昼、ミンミンゼミが威勢よく鳴いていると思えば、気づくと夕方にはヒグラシの音が刹那を感じさせてくれる。小さかった頃の「夏」がありありと蘇ってくる。



P.S.
とあるご縁でお祭りゴミ拾いボランティアもさせていただくことになった。これを通していろいろな問題点も沸き上がってきたが、歩くことで街を知り、地元の中高生の甘酸っぱいやり取りを観察し、お祭りに来てる方々とのコミュニケーションもでき、とても良い機会となった。



激しさ、美しさ、神秘さ、荘厳さといろいろなものが凝縮された真夏の祭典、秩父川瀬祭り。来年7月19日、20日は是非足を運んでみてはいかがでしょうか。




幸せを運ぶ『獅子』高木神社例大祭(東京都墨田区)


全長10メートルを超える獅子が、クネクネと器用に身をこなしながら、下町の路地裏を駆け巡る。地域の家々を訪ねて、ときには家の中まで入り込んでいく。この機会をずっと待っていたとばかりに涙を流してそれを迎える高齢者の方々や、大迫力の獅子が近づくと泣きわめく子どもたち。
なんとも形容し難い、とても独自性のあるこのお祭りに参加する一番の楽しみは、人々の「生活」そのものに入り込んでいけることではなかろうか。


獅子頭の重さは20kg弱と言われ、これを二人で持ち、非常に日本的な足の運びで摺り足で進んでいく。獅子が地を這っているように見えるといいのだそうだ。
獅子の身体の部分をかたちづくる深緑色の布の縁をみなで持ち、バタバタと揺らすことで、まるで生きている獅子かのように見えてくる。興味深いのは、大部分、近所の子どもたちがその役を果たしているということだ。どこからともなく子どもたちが集まってきては、去っていく。不思議な感覚に陥る。


獅子はオスとメスそれぞれ二体おり、場所場所で向き合った際にそれぞれが近づいていき、周りが声を上げて、互いの息を合わせて獅子頭をグッと持ち上げ、交差する。これがいわゆる『合わせ』と言われるもの。この度に、気持ちが高ぶる。


お昼ご飯には、手作りの豚汁と、熱々のメンチカツをいただく。「近くの肉屋さんのメンチカツ」は、とてもジューシーで、温かみがある。この感覚はなんだろう。



今回は三年に一度の高木神社の「大祭」だったこともあり、獅子が終了した次の日には、(普段は出ない)御神輿がでることになった。最高の青空の下、「オイサー、オイサー」の掛け声に合わせて神輿を担いでいく。とても立派なお神輿で、重量もかなりあるだろう。やはり下町のお神輿。江戸っ子の粋な感じで盛り上がるし、普段なら気になるであろう多少の口の悪さも、必要な要素に思えてしまう。


やはり神輿はおもしろい。担ぎ手の息が合ったときのあの一体感は何ともいえないものがある。



そして圧巻は宮入り。高木神社の鳥居をくぐると、これ以上ないくらいに人が密着して、何度も行ったり来たりを繰り返す。ようやく最終的に差せたときは達成感と安堵感に包まれた。



今回このお祭りを通して感じたのは、地域の魅力。そして人の魅力だ。
祭の舞台は墨田区の京島地区の一部で、墨田区内でも空襲で焼けなかった数少ない地域だったということもあり、昔の道が残っており、狭い路地がくねくねと通っている。最寄りの曳舟駅前などはマンションも増えているが、平屋の一軒家も多く、自営のお店も多かった。獅子を持って家に入り込んでいくことなどもあり、文字通り「生活を覗く」ことができた。そこにあるおじいちゃんおばあちゃんの顔、そして湧いてくるこどもたちの存在が、生きていることを強く実感させてくれた気がする。人情味のある町。


今回は、旧寺島四丁目という地区の「四丁目睦(よんむつ)」を紹介してもらい、参加させてもらった。お祭りの前にも、お祭りの創り手の方にお話を聞かせていただいた。自分たちの地域とお祭りに対する愛に溢れた方たちで、外者を気さくに受け入れていただいたことに本当に感謝をしている。この方たちがいなかったら、こんなに安心して楽しめなかっただろう。

来年の6月1週目の土日は、是非足を運んでみてはいかがでしょうか?
よんむつホームページはこちら(http://naruhi86.wix.com/mutsumi-04

「跳ぶぞ、跳ぶぞ!」松原神社例大祭(神奈川県小田原市)

「よし。跳ぶぞ!跳ぶぞ!」

その掛け声を聴いて提灯を持った二人が前に走ると、神輿の前にスペースができあがる。
それは「走る」ことを意味するGOサインだ。

直立不動の状態で木遣りを聞き、声を合わせる。声が揃って、大きさが増幅する。
まわりの気配をじっと感じながら、タイミングを測って、一気に走りだす。
担いだ神輿がブレないよう、腕を使って肩にぐっと近づけて走る。
そして、止まる。止まり、切れない。
ようやく静止すると、身体の弛緩とともに、笑みが溢れる。





申し訳ないけれど、正直、ここまで楽しいお祭りだなんて想像していなかった。

2月の終わりに参加した地元の友人の結婚式二次会で久々に会った高校の友人から、「5月に小田原でお祭りやるから来なよ」と誘われたのがきっかけ。4月のある日、ぱっとそのことを思い出し、彼とやりとりを重ね、このお祭りに参加させてもらうことになった。

当日。10時に会場に集合し、着替えを済ませる。
午前中は主に寄付を頂けたお店や家に対して、木遣りをあげ、神輿を担いで突っ込む動作を繰り返す(いわゆる、神輿を「差す」)。

この動作をするとき以外は「わっしょい、わっしょい」と神輿を揺らすわけでもなく、ただ肩の上に載せて運んでいた。わりと静かで大人しいお祭りなのかな、というのが最初の感想だった。

それがお昼になり大通りに出てから、その印象は一変した。
冒頭の「跳ぶぞ」の合図とともに、神輿を担いでダッシュをし始めたのだ。
※「跳ぶ」は小田原の方言で、走るという意

慣れ親しんだ小田原駅の周辺を、神輿を担いで何度もダッシュしてヘトヘトになったり、
クライマックスに向けて各町会の神輿が集まってきた際には、隣の神輿と連結してダッシュ。多い時には、3つの神輿との連結ダッシュ。

転けたらヤバイという緊張感と、神輿を担ぎながら走るという高揚感の効果で、アドレナリンが出てくる出てくる。「爽快」という言葉がピッタリ。

勿論、魅力はそれだけではない。
一件一件小田原の町中のお店を回っていく中で、「(昔はなかった)こんなお店があったのか」「やはり小田原は練り物の町なんだな」など、地元として知っていたはずの場所に対する新たな発見があったし、小田原に昔から住んでいる人たちとの何気ない交流も、やはり心温まるものがあった。(自分は地元を出た人間だから、余計)

最後に、今でも鮮明に残っているシーンがある。いわゆる「宮入り」だ。

日暮れの時刻を過ぎ、自分たちのお神輿の宮入りの順番をじっと待ち、その時は来た。
沿道の両側には赤い提灯が連なる屋台が構えており、太鼓の音が聞こえる。

合図があり、今までにないほど長い距離を神輿を担いで駆け抜ける。そして、交差路を直角に曲がる。ググっと重力を感じつつも体勢を立てなおして鳥居を目の前にすると、そこには大勢の観衆が待ち構えていた。その中を、文字通り、疾走した。

『このときのために一年間やってるようなもんだもんね』と担ぎ手の一人がつぶやいていた通り、それはまさに「感動」の瞬間。

神事であることは承知しているけれど、こんなエンターテイメント、なかなか味わえないと思う。


今回参加させてもらったメンバー