「祭」を通した、住人としての小さな幸せ

18歳で地元を出て一人暮らしを始めてから、早10年以上が経つのだけれど、昨日、初めてでとても嬉しい出来事があった。

同じ地区の住人の方に「大原さん!」と笑顔で声を掛けられたのだ。

僕が住んでいるマンションを出て、走って道路を横切った瞬間、後ろから大きな呼びかける声が聞こえた。

「横断歩道ちゃんと渡れよ、このやろー!」的な感じなのかと思い、びくびくながら振り返ると、同じ地区に住んでいる人が手を振ってくれて僕の名前を呼んでくれていたのだ。
少しほっとして、「あ~、どうもー!!」と言って、僕は駅に向かって走っていった。

たかが5秒のやり取り。しかしそのやり取りで、なぜだか心がほんわか満たされた。僕と僕と認識して、声を掛けてくれたことが、とても嬉しかった。


きっかけはこちらのビラです↑

              
っかけの話。
8月のある日、このビラがマンションの入り口に貼ってあることに気付いた。
「地元のお祭りに携われるものなら携わってみたい」と東京に越してきてから長年思ってきたけれど、一度もそういうチャンスがなく過ごしてきた自分からすると、「ついに来た!!」という感じ。
担当の方に電話をすると、「何人か連れてきてもいいよ」ということだったので、先週日曜日に、友人4人と一緒に、地元の連の人たちと神輿を担いできました。

そのとき一緒いた地域の住人の方が、昨日挨拶をしてくれた方なのです。

ある地域に住んでいても、そこの地域と全く関わりなく日常を過ごしている、そのことに対する違和感。
「でもこれが都会的な生活ってもんなんかな~」とあきらめかけていたところに見えた希望。

祭がきっかけとなって、下町での自分の生活が少しずつ豊かになりそうだ。

人生で初めて「神輿」を担ぎました!



31年間生きてきて、ついに、神輿を担ぎました!!
(といっても、僕のことを知っている人には、あまり驚かれないかもしれません)
今まで神輿を担いだことがなかったのが、自分でも嘘のようなのですが、ほんとです。
機会が無かったのです。

大学生の頃、就職活動のために自己分析というものをしました。
自分の過去にさかのぼって、したいこと、得意なことなどを掘り下げていくというもの。
幼少期の夢については覚えていなかったので、実家に帰って「一番小さかった頃の自分の夢」について、母親に聞いてみました。
すると、このようなことを答えていたようです。

「僕、大人になったら、おみこし屋さんになりたい!!」

それを聞いた母親は少し困った顔をして「おみこし屋さんは職業じゃないのよ、、」と答え、僕はがっかりとした顔をしていたそうな。

大学生の僕は、なぜ「おみこし屋さん」なのか、少し分析してみました。
当時、地元(神奈川県南足柄市)の夏祭りにて、神輿がワサワサと揺れながら動いて行くことで、それを中心に、観ている周りのひとがパッと笑顔になり、自然と繋がっていく、その様に憧れたのだろうと。同様に、花火にもものすごく強い憧れがあります。

「おみこし屋さん」というと、神輿の担ぎ手や神輿の作り手を想像しますが、おそらくそうではなく、僕の関心は神輿それ自体だったと思うのです。

以来、特に意識せずに、気づくと神輿っぽいことを求め続けていました。
振返ってみると、大学の卒論で「円陣」について研究したのもそう、「ピストン」という全身での動きもそう。中心部分にエネルギーや視線が集まって、気づくとまわりの皆が『つながった感覚』つまり『一体感』を憶えている、そういう瞬間をつくっていくことが無常の喜びなのだと。

しかし、ほんものの神輿それ自体に触れる機会がなかった。神輿含め、祭にもっと触れるため、浅草に越して半年を過ぎ、とある友人の計らいで、facebookで「神輿担ぎませんか」の招待が来た!「おおっ」と反応し、参加させてもらったのが、今回のお祭り(亀戸神社大祭)だ。


今回入れてもらったメンバー

終わった後は汗だくだく。とても楽しかった!!
特に声を合わせて、動きを合わせたときに感じる一体感と高揚感はヤバかったな〜。

が、まだ一度だけしか担いでいないので、まだまだ全然奥深いとこまで行けてないんだと思う。
ここからだな☆

この機会をくれた友人の喜谷武くんと主催者の細田くんに心から感謝です。












「青森ねぶた祭」に参加してきました!

821910分。夕焼け空に放たれた花火の合図と共に、祭は始まった。大太鼓の重低音が響き始め、高揚感が高まる。そして、あの掛け声が聞こえてくる。「いくぞ!」「あっ、らっせ〜ら〜、らっせ〜ら〜!」『らっせ〜らっせ〜らっせ〜ら〜!』周りの様子を少し見ながら、跳ね方を確認し、跳び始める。

右右、左左。交差して、高く。後ろ足で、蹴る。
一緒に来た大学の後輩がガンガン跳んでるので、元バレー部の血が騒ぎ、負けられないと、跳ぶ。
慣れない動きをするもんだから、すぐに汗だく、ヘトヘトになるけれど、サッカー日本代表の応援のような、全体的なアゲの感じが、後押ししてくれる。
近くで跳ねているのは、地元の高校生くらいの女の子だろうか、その動作は激しく、美しい。
東北で勉強している海外からの留学生は、すこぶる元気だ。ほとんど日本語も話していない彼らも『らっせ〜ら〜、らっせ〜ら〜!』と大声で叫びながら、楽しそうに跳ねていた。(なんとなく、アングロサクソン系に似合う祭だと感じた)
場の雰囲気にも慣れてきて、中心から沿道側に少しずれて、跳ねるようにした。沿道にはお客さんが沢山。やはり、見られると、高く跳びたくなる。目と目が合うと、笑顔になる。

今回加えてもらったチーム



衣装を合わせるのが跳人の条件(レンタル可)














留学生めちゃ盛り上がってました





















時には、お客さんから「らっせ〜ら〜、らっせ〜ら〜」と煽ってくることもある。そんなコミュニケーションもまた楽しい。さらに、このねぶた祭の仕組みとして素晴らしいのは「幸せの鈴システム」。羽人が衣装につけている小さな鈴を集めると、幸せになれるといういい伝えがあり、鈴を転がしたり投げたりすると、子ども達がワッと集まって来て、競うように鈴を拾っていく。それを、とても嬉しそうに掴む。お客さんと鈴のやり取りをしているだけでも、とても幸せな気持ちになれる。

楽しさと、ふくらはぎの疲れを同時に感じながら、「まだまだ跳ねたい!いや、もうそろそろ、、、」と複雑な想いを抱えながら、21時に終わりを告げる花火の合図を聞いた。なんだか少し寂しかった。 

太鼓のサイズも特大


頑張れ日本の伝統企業




















青森ねぶた祭を訪れるのは二度目。今回は初めて、跳人(ハネト)として参加させてもらった。

ねぶたがとても好きという友人に誘ってもらい、総勢160名のメンバーを抱える跳人の団体の一員として参加させてもらった。ねぶた祭への跳人としての参加は、衣装さえ所定のものを用意していれば、誰でも自由に参加可能!そこがまた素晴らしい)跳人としての唯一の参加条件で衣装も、3000円で一式レンタルが可能(+足袋、わらじ)なため、とても気軽に参加できる。 終了後は市内の飲み屋で跳龍会の打ち上げにも参加させてもらい、祭のことや青森のことで盛り上がった。
 
中でも印象に残っていること三つ挙げたい。

  青森の方便で眠たいことを「ねぶたい」と言うそう。眠たい中でもせっせと農作業をする市民の祭からねぶた祭になった

  青森の人(特に女性は)ものをはっきり言う。日本でも有数の「激しい祭」があるところにも、県民性が反映されているのでは
  全国的にも有名なねぶた祭だが、以前、烏族の問題が大きく取り上げられた影響もあり、跳人の数は減ってきている。特に地元の子どもがあまり参加しなくなった

  かなり歴史の長いお祭りになると、だいたいその起源というものは曖昧になっている。諸説あるようだが、地元の人からの話が一番説得力がある。

 県民性とかそういうものはすごく好きで、陸続きの隣合った都道府県の人々の性格の特性になぜ違いがあるかを考えるのは興味深い。気候風土や地理的条件は勿論のこと、地域の代表的なお祭りとの関係性って、実はとても濃いものんじゃないかと思っている。
 お祭りの創り手が少なくなってきているというのは寂しい話だ。これだけのエンタメ要素を兼ね備えたお祭りでさえ、そういった状況というのは少し驚きだ。時間の使い方の選択肢が多様化され、スマホやゲーム機一台で何時間でも楽しめてしまう時代だけれど、子どもにとってお祭りに参加することが「かっこいい」ものであってほしいと願う。

 最後に、今回は跳人としての目線で「inside ねぶた祭」を書いてみたが、普通に観るのもめちゃくちゃ面白いです!!ねぶた自体は本当に凝られた総合芸術だし、大きさは想像していたよりも大きい。そんなのが目の前までかなりのスピードで迫ってくるのだから、その迫力はすごい。厳しい自然に負けないような激しさの大切さを教えてくれる、そんな夏祭り。
(それを支えるのはパナソニック・日立をはじめと日本の伝統企業。頑張って欲しい!)
音で表すと、「ドドーン」って祭り。来年は、跳ねてみるのもいいかも!? 

跳ねてる様子

「成田太鼓祭」を観てきました!


2014年4月12日『第26回 成田太鼓祭』

初めて、成田駅に降り立った。
「成田」というと成田空港のイメージが強い。(案の定、成田駅集合なのに、到着したのは成田空港第一ターミナルという駅だった。急いで折り返す)

成田太鼓祭りは、街と太鼓の融合が、ハーモーニーを奏でるようにうまくできている。
成田駅(JR/京成)から、成田山新勝寺まで続く15分ほどの道には、名物の漬け物や煎餅、和小物など、とても素敵なお店が立ち並ぶ。その道の途中途中に、太鼓の演奏スポットがある。
太鼓の演奏をつまみに、美味しいものを楽しむ。こんな感じのスタンスががいいのだろう。



太鼓の音とお寺との相性がとても良い。
外国人観光客もとても多い。








<素晴らしpoint>
・太鼓を楽しむだけでなく、町歩きを同時に楽しめること
・全国で有数のチームによる演奏を間近で楽しめること
成田山の境内で演奏という大ステージがあり、分かりやすいこと

特に素晴らしいと思ったのは、太鼓祭りの盛り上がりが商店街の盛り上がりに直結する仕組みができていること。
このお祭りをきっかけに「成田の街にまた来たいな」と思った。行きますとも。




〆は名物のうな丼