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マツリテーターへの道

日常に"祭り"というスパイスを

「地の人ってなんだ?」

先日、マツリズム説明会&ワークショップ.vol2を開催した。

2月開催の前回と同様、地元の祭りの担い手の方々、祭り好きの方、祭に参加したことなかったけどしてみたいという、多様性に富んだ人たちに集まってもらった。

前回は「祭りの魅力とは?」というテーマ。

manabuohara.hatenablog.jp

今回はそれを共有した上で、今回は「祭りの魅力が伝わらない理由?」「祭りの魅力を伝えるにはどうしたらいいか?」というテーマで、ディスカッションを行なった。

 

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様々なアイデアが出た中で、地元の祭りの方から興味深い話があった。

「実は根っからの『地の人』なんて多くない。祭りの担い手の多くが地方出身だけどたまたまそこに住み着いた人たちなんですよ。」

 
もちろん全ての地域がこれに当てはまるわけではない。人の移動の激しい都会ならではのことかもしれない。しかし、この言葉が地域の祭りの担い手の方から飛び出したことで、まわりの人たちは一気に安心できたと思う。


ちなみに僕は、18で地元の神奈川を出てから、ずっとアパート暮らしだ。学生時代は東京、社会人になってからは大阪、長野、そしてまた東京と転々としてきた。

せっかく新しい土地に来ても、家と会社との往復ばかりだった。「地の人」とかかわることへの憧れがずっとあったけれど、なかなかそれが叶うことはなかった。

 

グローバル化の成れの果ては、結局「居場所探し」なんだと思う。

極端な事例だけれど、先日、学生時代以来11年ぶりにあった中国人の留学生がこんなことをいっていた。

「それなりに頑張って、おかげさまで世界中のどこででも仕事ができる・生活できるようになった。でも私はどこに腰を落ち着けるべきか。それが最近の悩みなの。」

 

地域の祭りと関わることで、もしかしたらその答えが見つかるかもしれない。
そう思って、マツリズムをやっている。

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熊本で老若男女がブンブン振り回す(阿蘇神社『火振り神事』体験記)

ブウォン。ブウォン。

「火を"振る"と、こういう音がするのか!」初めて感じた驚きとよろこび。

まるで自分が独楽(コマ)の中心軸になったかのように、体自体も揺れる。
揺れた方がバランスが取れる。

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初めて見た時は、何故こんなことをするのか、不思議でたまらなかった。

これは阿蘇神社で行われる「田作祭 火振り神事」と呼ばれるもので、神々の婚礼を祝い、五穀豊饒を祈願するお祭りである。火を振るのは、結婚を祝うために行う。

手始めに氏子の皆さんが手本を見せてくれ、その後は一般の人もその儀式を行うことができる。

鳴り響く太鼓の音とともに、火が振られる。藁がちぎれて火が飛んでくるのではないかとはじめは遠くから恐る恐る見ているのだが、火を振っている人の楽しそうな表情にだんだんと引き込まれてしまう。見学者でいようと思っていた自分も試さずにはいられず、結局4回もやってしまった。

私は(毎度のごとく)、祭が終わる最後まで見届けていた。すると、面白いことに気づいた。

一番楽しそうにしているのは、小学生から高校生くらいまでの地域の子供だった。はじめは大人が主にやっているが、最後は子供が主役。火が燃え移る危険と紙一重の状況の中、慎重に火を振り始めながら、慣れてくるとお手のもの。まるでジェットコースターを連続で乗りまくるように、イキイキとした表情で火を振る、振る。

それを見ていて、「小さい頃からこういうことに慣れ親しんで育った子供は強いだろうなぁ」と感じていた。自然に対する好奇心と畏敬の念、思い切って飛び込む勇気、危機察知能力などが育まれていくんだろう。そんな彼らの将来を想像しては思わずニヤニヤしてしまう。

火は偉大だ。この先、様々なテクノロジーが進化したとしても、人間が火と戯れる行為はずっと残り続けるだろう。炎の揺らぎ、暖かさ、そして怖さ。どう考えても人間がこんなものを作り出せる気はしない。

f:id:anmojapan:20170322201647j:plain火を見つめる人々。外国人も多かった。

 

一方で、昨年の地震で崩れてしまった阿蘇神社の楼門と拝殿の復旧はまだ道半ば。苦労も絶えないと思うけれど、こうして命の息吹とも言えるような祭が続いていくことで、だんだんと人の心も暖かくなっていくことを願うばかりだ。

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阿蘇神社のお祭りの数は非常に多く、7月には御田祭(おんだまつり)というお祭りもあります。昨年のレポートはこちら。

【熊本のいま vol.2】自然の恵みへの感謝、日本の原風景がここに~御田祭~

 

祭りは続く。

 

 

※この祭りの詳細に関しては、こちらを参照ください。

祭りは「日常?」「非日常?」

先日、マツリズムと語る「祭りの可能性とニッポンの未来 vol.1」というイベントを日本橋にて行った。

3日前の告知にも関わらず、福島や愛知など遠方からいらっしゃった方もおり、そのうち3割は地元の伝統的なお祭りにがっつり関わっている方々(祭の担い手)で、7割は外から祭に携わっていたり、祭に関心があるという方々という構成。

それぞれの自己紹介やマツリズムの活動を紹介を行った後、参加者全員にワークショップ形式でアイデア出しをしてもらった。

テーマは、「祭とは?(祭りの持つ可能性/魅力とは?)」

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改めて、目からウロコの大きな気づきがあった。

「祭りは非日常」と答える人と「祭りは日常(生活の一部)」という人で、ぱっくり意見が割れたのだ。

私を含め、地元の祭りにがっつりと携わってこなかったような人間にとっては、祭りは非日常であり、楽しむものと捉えている。一方、祭りの担い手の方々にとっては、祭りは生まれた時から当たり前に身近に存在していたのもの。だからこそ、その日常を後世に伝えていくことが一番大事な目的となる。

議論が盛り上がっていたのでもう少し時間を取れればよかったが、たぶん互いに話している「レベル」が違う。だから噛み合わなかった部分がある。それはこちら側の課題設定やファシリの問題として反省しつつも、祭りの担い手とそうでない人々の間にある「断絶」に改めて驚くと同時に、それをつなぐ人(マツリテーター)の必要性を感じた。

※マツリテーター:祭×ファリシテーターの略称

Facilitateは、容易にする・噛み砕くという意味であり、いわば祭の世界と通常の世界との「通訳者」であると考えている。

祭の世界ほど、魅力的で神秘的で、暗黙知に満ちている世界はない。

祭りはその土地と人々が紡いできた物語の結晶。毎年毎年、その土地に生きる人々が積み重ね、熟成させてきたのが今の祭り。だからそこの「当たり前」が別の地域から見たら、驚きに溢れた独自の文化に見える。

祭の持つ可能性を、もっと探求してみたいと思った。



★次回vol.2イベントの参加希望の方はこちらまで★
(内容はvol.1と基本的に同じです)

Facebookイベントページ:マツリズムと語ろう「祭が変える!?ニッポンの未来」vol.2

日時:3/19(日)13:00-15:30 (12時30分受付開始)

場所:irori日本橋 東京都中央区日本橋横山町5−13

費用:500円(ドリンク代/場所代)
定員:15名 ※定員に達し次第締め切り
内容:マツリズムの活動紹介
   簡単なワークショップ 等
参加方法:下記申し込みフォームより記入をお願いします< 締切 3/17(金)24:00>

主催:一般社団法人マツリズム

「奇祭」と思ったら「鬼祭」だった(黒石寺蘇民祭体験記)

午前五時前。お籠り小屋で暖をとりながらウトウトしていると、外からだんだんと男たちの声が聞こえてくる。

「ジャッソ!!」「ジョヤサ!!」「ジャッソ!!」

ヤバい、合図だ。最後の行事、蘇民袋争奪戦が始まる。

眠い眼をこすってダウンジャケットを脱ぎ、裸になって自らを鼓舞するようにふんどしをぐっと締め直す。外に出ると、雪がチラついている。当たり前だが、二月の岩手は寒い。

黒石寺の本殿の前には、すでにふんどし姿の男たちが集まってきていた。その中に混じり、声を上げる。蘇民祭が始まってからすでに7時間が経過。ここまでくると、個の感覚は無くなってきており、全体と一体化したような妙な感じだ。

声出しが続き男たちのボルテージが最高潮に高まったところで、方々から「電気消せーーー!!」の怒号が上がった後、本殿の電気が消え、蘇民袋が投げ込まれる。我先にと蘇民袋に男たちの手が伸びる。かなり密集しているので、一瞬の気も抜けない。

その時、少し外に視線をズラすと、鬼の形相をして腕を組んでいる人がいる。さっきまでニコニコしていた黒石寺青年部の佐々木さんではないか。

「絶対に誰も怪我させねぇ!」という気迫があの表情にさせるのか。今という時間に向き合う真剣さと、続いてきた伝統を守るという強い気持ちが、鬼の顔にさせたのか。

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黒石寺蘇民祭とは

毎年、旧暦の1月7日に行われる五穀豊穣・無病息災を願って行われるお祭り。蘇民将来信仰を基にした蘇民祭岩手県南部地方を中心にいくつかの場所で行われているが、黒石寺の蘇民祭は1200年を超え、国の選択無形民俗文化財にも指定されており「日本三大奇祭」の一つとも数えられる有名なお祭りである。

蘇民祭 | 黒石寺

毎年12月になると「裸の男と炎のまつり」と題してポスターが作られるのだが、2008年のポスターは多少刺激的で、セクハラに該当するおそれがあるとして、JR東日本が駅構内での掲示を拒否するという出来事もあった。これでこの祭りを知ったという人も多いだろう。

 

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話題となったポスター

2月の氷点下の気温の中、真夜中にふんどしで境内を走りながら、水業、火業を経て、最後には蘇民袋争奪戦を行う変わった内容なので、その過酷さについて記載されたブログなども多々あるので興味のある方は調べてみてほしい。

【蘇民祭体験記】あまりの寒さに本当に死ぬかと思った | ロケットニュース24

参加者の本来的な目的は、争奪戦で一年の厄災を免れるため蘇民袋を手に入れることである。しかし、それに参加するためは祭りの1週間前から「精進」が求められる。肉・魚・
ニラニンニクのような臭いの強い食物、或いはそれらを調理した火を通した食物を口にすることが禁じられるのだ。

つまり「男」を決める決定戦に参加するため、1週間清めて清めて、当日は参拝する前に手を洗う代わりに水を全身に浴びて清め、線香の煙を浴びる代わりに薪をくべた上で煙を全身で浴び、そして心の準備をして決戦に臨む、という禊のお祭りである。

私は一昨年・昨年と二年連続で参加しており、今年が三年目となる。

都会生活における「精進」の難しさ

都内に暮らし、外食中心の生活をしているものにとって、1週間の精進期間はとても辛い。外食をできるだけ避け、自分で作るかコンビニのおにぎりを食べた。塩おにぎりや昆布、枝豆など種類もかなり限定的になる。唯一良さそうな「うどん」なども、成分表示に「鰹だし」と書いてあるのが目に付いてしまう...。

期間中一度だけ飲み会に行く機会があり、その際には蘇民祭に出ることをメンバーに打ち明け、精進料理のお店(豆腐や野菜中心のお店)に変えてもらった。本当にありがたかった。

期間中はとにかく、お腹が減る。食べる量はしっかりしていてもタンパク質がないとやけに空腹を感じ、辛い。
しかし、精進は嫌なことばかりではない。微妙な空腹感は集中力を高め、日中はほとんど眠くならず仕事に集中できたし、味覚が敏感になり、それどころか五感すべてが冴え渡ってくる感じがした。欲に打ち勝ち、準備万端で蘇民祭を迎えられた時点で少し達成感のようなものを感じられる。あと、身体が引き締まる(笑)

異質な体験

黒石寺に着くと、まず服を脱ぎ、ふんどしを穿くことから始まる。ふんどしなんて日常生活で穿くこともないから、初めはかなり戸惑う。

22時。準備ができると、足袋に草履を着用し、裸参りに出る。裸参りでは境内を三周し、三度水を被る。

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写真は筆者

一度目はまだいいが、二度目、三度目になると水に近寄るのを身体が拒否しているのがわかる。寒さを紛らわすため、とにかく「ジャッソ!!」と声をあげる。また、人間は危機状態を察知すると身体の中から熱を発し始めることも分かった。

23時半頃からは柴燈木登り(ひたきのぼり)が始まる。「水で冷えたあとは、火で温める!」という発想かは分からないが、組み上げられた牧の上に駆け上がり、己の強さを誇示するかの様に右手を上げて声をあげる。しかし、これが辛い。。。

辛いのは、熱さではなく"煙"だ。風向きが悪いと、煙が直撃し続け目も開けていられない状態になる。

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写真中央で右手を上げるのは友人。プロかと思うくらい様になっている。

それを終えると、外から来たと思われる方々、全体の半分以上が去っていく。
しかし、ここからが祭り本番だ。

午前2時から5時頃にかけて、別当登り、鬼子登りといった儀式が執り行われる。

その間は、「蘇民食堂」と呼ばれる手作りの食堂や小屋で暖をとりながら身体を休め、体力を蓄える。ここで地元の方々と交わす会話もとても楽しい。

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蘇民袋争奪戦は、男たち100人くらいでおしくらまんじゅうをしながら、2キロくらい移動していく。(この頃になると、人としての生命力が分かってしまう。日常生活とは違う基準で、その人の強さ、頼り甲斐が、まるでスカウターをはめたかのように判別できるようになる)

そして最後、坂を転げるようにして、男たちは離散し、最後まで蘇民袋を持っていた人が「取り主」となる。その頃にはあたりはうっすらと明るくなっていた。


苦行を重ねる中で高まる仲間意識
声を重ねることで高まる一体感
一方で、無くなって行く個人という感覚
男の逞しさ、強さを感じる時間
あくまで祭という儀式を遂行することが目的だが、
エンタメや競争の要素もうまく埋め込まれている
それが、蘇民祭


蘇民祭で得られたもの

私にとって蘇民祭で得られたものは大きい。
そのプロセスを通してエネルギーをもらい、エンジンがかかり始めたのだ。

当時、私は勤めている会社を辞める新たな道に進むと決めてはいたものの、具体的にいつ辞めるかの踏ん切りがついておらず、目の前の仕事にもなかなかモチベーションを保つことができていない状況だった。

そんな状況で蘇民祭に参加をし冒頭の佐々木さんの鬼の表情に直面した際、「俺はここ最近、これだけ真剣な表情をして物事に臨んだ経験があっただろうか」と思わず振り返り、とにかく全力で目の前のことに向き合う決意ができた。
さらに、帰りの新幹線の中で共に参加したメンバーと体験の振り返りをしていたら、スケッチブック4枚分もの壮大なものとなった。これだけのことを仲間と共に体験できたことも嬉しかった。

蘇民祭があったからこそ、そこから退職するまで4ヶ月間走りきれたし、独立してからもその「鬼」のことを何度も思い出し、気合を入れ直している。


おっと。気付くと、年を越えていた。2017年を迎えたようだ。
そしてまた、蘇民祭の季節がやってくる。今年は2月3日(金)夜〜2月4日(土)、まさに節分=鬼の祭と同じタイミングである。挑戦者、求ム!

改めまして、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。 

2017年1月1日
マツリテーター  大原 学

 

『そうだ 皇居、行こう!』

「そうだ 皇居、行こう!!」
そう思ったのは、天皇誕生日のお昼の有楽町線車内。帝国ホテルでの打合わせを終え、永田町のコワーキングスペースに向かっていた途中にスマホを見ると、facebookのタイムラインに地方出身の友人のこんな投稿が。

今日は天皇誕生日ということで、東京に来て一度は行きたかった一般参賀に参加。

小さい頃、天皇陛下を間近で見て、地域の人たちが目を輝かせて湧き立つのを見て、日本の象徴であることの意味を感じて以来(平たくいうと天皇陛下ってすげーなくらいの感じ)、皇室好きなんです。

その時初めて今日が天皇誕生日だったことに気づき、自分が皇居入口に近い場所にいることも分かった。天皇陛下にお目見えできるのは午前中のみということだったが、一般参賀は午後もやっていることが判明。

「いつ行くの?今でしょ!
ということで帝国ホテルのあった日比谷に引き返す!(実は逆走してて月島まで行っていたことはご愛嬌w)

人生で初めて皇居の中に足を踏み入れた

皇居の中を1時間少し歩いてみた感想は、「清々しい」の一言。

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都会の真ん中にとても気持ちのいい空気が流れる。

 

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ここで名刺を渡し、記帳をした。

「外国人は国籍を、日本人は県名を書いてください」と言われ、一瞬筆が止まる。生まれ育った神奈川と書こうか、ここ4年ほど住んでいる東京と書こうか迷った挙句、神奈川を選んだ。

 

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広い芝生が広がる。ニューヨークのセントラルパークを思い出す。

 

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大都会TOKYO!

 
驚くことに、1/3くらいは外国人だった。今は日本中の観光地で見かけるようになったけれど、浅草寺などと比べてもその「多様さ」が異なる。文字通り世界中から人が来ている感じ。欧米、アジア、アフリカ、南米、、こんなに多様な人種が偏りなく集まる機会に遭遇したことは殆どない。皆丁寧に記帳をしている。天皇陛下の誕生日を祝っている。

インバウンドという言葉がすっかり定着してきた通り、外国人観光客は一気に増えた。そしてこれからも確実に増えていく。

それに呼応するように「英語表記を増やそう」「wifi環境を整えよう」「英語で説明できるようにしよう」という自治体や個人の機運も高まっており、それ自体は素晴らしいことだと思う。

しかし、天皇誕生日に皇居を訪れるような感度の高い外国人は、日本人に道は聞いてこないだろう(自分でgoogle mapで調べる)。聞いてくるとすれば「wikipediaを見てもイマイチピンと来ないけど、日本人なら知ってるかも」ということなはず。

とても苦い思い出がある。

What's Tenno?

天皇って何?」と初めて聞かれたのは、22歳の頃。ペルーのリマ空港に向かうタクシーの中で、当時同い歳のアメリカ人の女性にその質問を受けた。当時の僕は9ヶ月間のアメリカ留学と1か月間のペルーバックパック旅行を終えたばかりであり、英語力には自信があった。初見のアメリカ人とも仲良くなって「どうせ空港行くならライドシェアしない?」と提案し、車内でも楽しく会話をしていた。

彼女は「日本にもすごく興味があるの」と言って、いろんなことを聞いてきた。

そして、”What’s Tenno?” という質問を素直な、純粋な関心として聞いてきた。僕は"Symbol of Japan(国の象徴)"という模範的な言葉を使って「政治的権力はないけれど、象徴なんだ」と答えた。しかし、納得のいかない顔で彼女は質問を続ける。

「象徴って何?エンペラーとは違うの?国王ではないの?」

僕は混乱した。そしてしどろもどろになり、しまいには根負けし「ごめん、よく分からない」と謝った。彼女は「そう。」と言って話を逸らした。

僕に対する関心が薄れていくのが分かった。英語の問題じゃない、日本語でそれを聞かれたとしても僕には説明できる素養がなかった。その時の悔しと悲しさは今も心の中に疼いている。

国際人ってなんだろう?

半年前まで、大企業の中でグローバル人材を育てるためにはどうしたらいいか、ということを考える仕事をしていたから、国際人というのはとても身近なテーマだ。
※僕がリマでアメリカ人と出会った11年前は「グローバル人材」という言葉は一般的ではなかったから、当時使っていた「国際人」という言葉で話を進める

今、個人的に国際人の要件を一番シンプルに定義しろと言われたら、下記のような表現を使いたい。

「言語的/文化的背景の違う人たちに対して、自分と出身地のことを魅力的に伝えられること」

超シンプルに自己紹介するなら、“I am Manabu. I am from Japan.”となるだろう。

それでは一体Manabuは何者か?Japanはどういう国か?

知らない人にこれを伝えるのはとても難しい。

相手に興味を持ってもらうためには、ある程度の教養が必要だし、その人やその国のこともある程度理解する必要が出てくる。

Manabuについてどれだけ知っているかはさておき、Japanについて(地元や居住地と置き換えることもできる)どれだけ知っているかについては一度問いかけてみてほしい。

Japanについて理解をしようと思ったら、Tennoのことは避けて通れない。もちろん神社仏閣もそう。政治思想や宗教思想云々じゃなく、素養として知っている必要がある。

祭と関わるのは、国際人に近づく一歩?

今、私が天皇陛下を説明するために一つ言葉を選ぶとしたら「祭祀の長」だ。そう、祭と密接に関わっている存在。

地域に根付いたお祭りに関わることは、その土地の歴史・文化・風土に関わること。勉強しても覚えられなかったことが、強烈に楽しい体験とセットになると「忘れられない記憶」になる。忘れられない記憶は、止むことのない好奇心を創り出す。結果として、地域や日本の理解が深まっていく。


イメージとして、海外で自己紹介をする機会に半纏姿の自分の写真を一枚見せながら「これはね、あれはね、それでね、、」って楽しそうな表情で語れたら、興味関心を持つ人は多いんじゃないかな。


皇居から話が飛躍した。
でも、11年前にペルーで感じた悔しさを、僕は少しでもMa-tourismに込めていきたいと思うのです。

 天皇陛下お誕生日に際し(平成28年) - 宮内庁 

 

祭りは続く。 

一般社団法人マツリズム設立と所信表明

本日、渋谷区法務局にて商業登記簿謄本を入手し、11/30に法人登記申請をしたものが正式に登録されていることを確認しました!

新卒で入った会社が金融業だったので、商業登記簿謄本はいくつも見てきたのですが、まさか自分の名前が載る日が来るとは思っていませんでした。
このタイミングで改めて、登記申請直後に書いた法人設立にあたっての所感をこちらのブログに掲載します。

今年6月末をもって3年8ヶ月勤めたクロスフィールズを退職いたしました。素晴らしい仲間とともに、大きな志を持った方々と仕事をさせてもらったことは、人生の貴重な財産となりました。お世話になった皆さん、これまで応援してくれた皆さんに心から感謝をしています。

退職の理由は「祭を通じて人と地域のつながりをつくる」新しい仕事に挑戦するためです。2年ほど前から沸々と湧いてきた衝動に乗って、一歩踏み出す決断をしました。

その後5ヶ月は、全国の祭りを巡りつつ、自分が本当にしたいことを尖がらせてきました。祭りに飛び込みながら、感動したり、時には怒鳴られたりもしながら、想いを育ててきました。ほぼ無職の状態が続く中で不安に苛まれたこともありましたが、様々な人のサポートのおかげで前に進むことができました。

そして、2016年11月30日に一般社団法人マツリズムとして登記申請をいたしました。

ホームページ:http://ma-tourism.strikingly.com/
Facebookページ:https://www.facebook.com/matourism.jp/
(しばらくはこちらで情報発信します。「いいね!」も大歓迎です)

学生時代に「祭りとは何か?」という問いを持ちはじめ、10年以上、様々な人との関わりや経験の中で模索し続けながらたどり着いた一つのかたちです。

僕にとって祭りは幼少期からの憧れであり、人生で一番の危機を救ってくれた恩返しの対象であり、人間の「美しさ」が凝縮された愛すべき存在です。

祭りを地域における"円陣"と捉え、その価値を再定義し最大化することで、世代や職業や価値観を超えた緩やかなつながりが生まれ、日本が抱える様々な課題の解決にも通じるものと信じています。そしてその賑わいは、海を越えて広く世界に伝わっていくはずです。

光は見えています。
しかし、足元はまだまだ全然おぼついていません。到底一人だけでできることでもなく、これからたくさんの協力が必要です。光を捉え続け、それを表現し、誰かと共に希望に変えていくことが私の仕事だと思っています。

「新しい仕事を通じてたくさんの笑顔と歓びを生み出せますように。」

33歳を迎えて初めての神社へのお参りでは、一丁前にこんなことを願いましたが、もう一度。

これを見ていただいたご縁に感謝。
引き続きどうぞよろしくお願いします!

 

2016年12月1日 大原 学

 

「わっしょい!」でつながる夜(秩父夜祭り体験記)

気温0℃を下回る夜の秩父。今年はこれでも暖かいと言われるが、身体には堪える寒さだ。夜9時、クライマックスの団子坂に近づくにつれ、徐々に曳き手のテンションが上がっていく。山車の曳き手は100人以上と十分な数がいるので一人一人の負担は少ないが、縄を持つ腕に伝わる車輪の振動を通じて、自分が「祭りの担い手」だということを意識させられる。
それにしてもものすごい数の観客。沿道には人、人、人。家やビルの二階、三階、屋上にも人が溢れ、こちらを見つめている。それに向かって、曳き手である私は「わっしょい!わっしょい!」と声を掛ける。すると沿道の方々から「わっしょい!」の声が返ってくる。目が合って、"前のめりの気配"を感じた人とは、ハイタッチをする。特に自分の母親よりも少し上のおばちゃん世代はとっても元気で、声と笑顔とハイタッチのコミュニケーションを交わす。

秩父夜祭り。山車と曳き手を通じて、多くの人が祭りと「つながる」夜。

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秩父夜祭りとは
毎年12月2日/3日に行われる埼玉県秩父市の「秩父夜祭」。秩父神社例大祭にも位置づけられ、300年以上の歴史を持つ、祇園祭高山祭と並んで日本三大曳山(ひきやま)祭りに数えられる『豪華絢爛』なお祭り。10mを超える大型の山車や傘鉾(かさぼこ)が6基運行され、それぞれの彫刻の美しさ、鳴り止まないお囃子、神楽の舞、真冬の夜空に広がる花火と、まさに祭りの醍醐味を詰め込んだ総合芸術といえる。

今回は昨年に引き続き中町地区に声掛けをいただき、3日の夕方から山車を引かせていただいた。

祭りの由来
良いか悪いかは別として、このあたりも知っていると"粋"に楽しめる。
(今年の流行語にもなったけれど、いつの世も男女の色恋はドラマを生む)

最も知れ渡っている有名な伝説は武甲山男神(蛇神・蔵王権現)と秩父神社の女神(妙見菩薩)が年に一度の逢瀬を楽しむというものである。
男神には正妻がいて、神幸路の途中にある諏訪神社の八坂刀売命であるとされ3日の番場町諏訪渡りは年に1度の逢瀬を楽しむ許可を求める祭礼だといわれている。
神幸祭のときに諏訪神社の前を通過する際に各町会の山車は正妻の女神を怒らせないように例外的に屋台囃子の演奏を止め数メートルすすむ。この風習も諏訪渡りと呼ばれている。

http://www17.plala.or.jp/birdone11313/zatugaku1.5.html より抜粋


ユネスコ無形文化遺産登録へ
今年は祭り前日の12月1日未明に、秩父夜祭りを含む全国33行事の「山・鉾・屋台行事」がユネスコ無形文化遺産登録が決定した。加えて今年は本祭である3日が土曜日に当たったことも重なり、30万人を超える史上最高の人手だったという。 


祭りに飛び込む
祭りの衣装は大切。衣装を身に付けることで、自分が担い手側であることを示すと同時に、その町の誇りと責任も身に纏うことになる。担い手は祭りの一部。どうせ着るなら格好良く、ということで中町の方に鉢巻の締め方を教えてもらう。

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メインである本祭夜の部がスタートしたのは夜の17時半から。一年で一番日が短い季節。この時間にはすっかり日も暮れている。

山車を曳くという行為は一見地味だが、ここでは「わっしょい!わっしょい!」と威勢良く声を発し観客も呼応するということを通じて、互いに祭りを盛り上げ、楽しく時間を過ごすための工夫をする。(人は「わっしょい」と発声するだけで嬉しい気持ちになれる、というのが今回改めての気づき)

地元の男衆の、かなりの重量の山車を旋回させる技術、滞りなく祭りを運行していくためテキパキとした動き、山車の上に乗る方々のピクリとも笑うことのない硬派の表情は、気持ちいいくらい格好いい。そして祭りギャルたちの工夫を凝らしたお洒落な装いも必見!(分野関わらず、やはり今の時代、女性の方が元気があるなと改めて実感)

そして、クライマックスはやはり団子坂だ。
6基の山車が集まる御旅所の前の短くて急な坂を、曳き手全員の力を合わせて山車を引き上げる。その瞬間にババババーンと、一気に花火が上がる。

一生に一度しか担うことのできないという舵取り役(山車の上で提灯を持つ役)の四人にとっては、人生で一番のハイライトになるかもしれない興奮の瞬間。

山車を引き上げた瞬間は爽快で、安堵と達成感に包まれる。

その後、御旅所で神事を終え、町まで山車を引き降ろしを行い、すべての行程が終わったのは午前3時前。これが「夜祭り」たる所以か。歩き疲れて身体はヘトヘトだが、心はホクホクあたたかい。

また来年も、この祭りが盛大に行われることを願って。

 

祭りは続く。

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